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上智のいまを発見

【先生コラム】下川雅嗣 義務感の世界から自由な世界へ

2025.03.24

大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第20回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、出口真紀子先生(英語学科)からのご紹介、下川雅嗣先生(総合グローバル学科)です!


出口真紀子先生からバトンを受けた総合グローバル学部の下川雅嗣です。私はちょうど20歳の時に、生き方の方向が180度変わりました。出口先生から私の大学時代について知りたいと言われ、そのときのことを文字にしておこうと思って、ここで分かち合いたいと思います

義務感の世界から自由な世界へ

小さい頃から何かにつけて「ちゃんとしなさい」と言われて育ったために、どっちかというと真面目な子供だったと思います。当時、すべてにおいて、例えば、学校に行かなければならない、勉強しなければならない、人を大切にしなければならない、部屋を片づけなければならない、人に良く思われなければならない、などなど、常に、「○○しなきゃなんない」、「○○すべきである」という世界、義務感の世界の中で生きていました。ですが、当然のことながら、実際にその通りはできないわけで、そのたびに「あーもーだめだ」「どうしようもない」に陥り、それに対して、さらに「○○しなきゃなんない」の繰り返しで、生きづらさを感じていました。

大学2年生のときに、寮の先輩から(カトリック)教会の8日間の黙想に誘われました。はじめての経験でしたが、もちろんこれも先輩に対しての義務感からの参加でした。自分の生活を振り返るらしいのですが、私の場合は、上述の義務感の世界が苦しくて、もう根をあげそうだというのがテーマでした。

その中で、神父から、突然、「下川さんって不自由な人ですね」と言われました。そんなこと人から言われるのははじめてで戸惑いました。その時の自分は、みんなも同じようにその生きづらさの中で義務感によって生きているのだと思っていましたし、そうじゃないと社会は成り立たないんじゃないかと思っていました。しかし、神父からは「もっと自由に、自分の心にある望みを大切にしたら」と言われました。私にとっては、「それはあり得ない」と思いながらも、「もしできたら楽になるのでは?」ともちょっとだけ思いました。ふと、「義務感を感じることにはすべてNOを言い、望みだけで成り立たせる」生活は、試してみたら面白そうだと思ってしまいました。それを想像してみると、とても怖いのだけれど、人の目さえ気にしなければ、意外と自由に、動ける気もしました。

20歳の時の黙想会の写真(左から2番目が筆者)

日常生活に戻って、すべての義務感にNOと言う生活をやってみました。大学生だったので、当然のことながら大学の授業があり、大学にいかなきゃ、授業にでなきゃ、勉強しなきゃ、という義務感を感じた瞬間にそれを止めるというのは、なかなか勇気の要ることでした。また、学生寮に住んでいて、共同生活をしていたので、掃除当番などがありました。しかし、掃除当番なんていうものは、まさに、当時の私には、義務感でしかなかったので、それもやらないようにしました。漫画の本を読むのが楽しいと思ったら、延々と何日も他の寮生の漫画を借りて、大学も行かずに読んでいました。そのあと生じた心の変化が面白かったです。漫画を延々と読んでいたら、なんとなく退屈になってきて、もっと何かやりたいことがあるような気がするのです。やりたいことを探して、それを飽きるまでやりました。自分の心の中にある望みを探し続けるうちに、だんだん心の動きの変化にも敏感になってきました。例えば、自分の望みの中には、表面的な望みから深い望みまで、いろんな段階のものがあることわかるようになってきて、深い望みに従った方が、喜びが続くのです。より深い望みを探したくなります。先の掃除当番も、表面的には面倒くさいのですが、友達がいろいろと自分のためのやってくれるのを何もせずに見ていたら、私も彼らのために何か役に立ちたいと思っている自分がいることに気づき、驚きました。

常に自分の心の中を探って、より深い望みを探し、見出したら、身に痛くてもそれをやることが本当の喜びに繋がることだとわかってきました。そして義務感にNOを続けても、社会生活が成り立っていくことも驚きでした。「人を大切にしなければならない」のではなく、自分の心の深いところに、「人のことを大切にしたい」という望みがあったのです。この気づきによって、自分が好きになりました。

それ以降の人生は、とても面白く、ワクワクの連続でした。人から見たら何度も方向転換をして、何をやっているんだと思われるかもしれませんが、私にとっては、常により深い望みを探し、できるだけそれを実現してきただけなのです。その結果が今に至ります。

義務感の世界から自由への転換は、若いから、そして大学生時代だからできたことなのかもしれません。この望みに導かれる自由な世界を、是非皆さんにも味わっていただければと思います。

次のコラムは外国語学部ドイツ語学科の木村護郎クリストフ先生にお願いしました。木村先生は、大学院の専攻でご一緒させていただいているのですが、なぜか学外で私がやっている野宿者運動でも共通の知人がいたりして驚いています。ご発言や考えておられることなどを通して深く信頼、尊敬しているし、自由を愛している様子もうかがえるので、私自身、木村先生の原点を知りたいと思って、リレーバトンを渡します。


次回は……

下川先生から木村護郎クリストフ先生(ドイツ語学科)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。