2021.09.21
2021.09.21
大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。皆さんは、大学の長期休暇中、何をして過ごしていますか? 今回は、総合グローバル学科3年の林美奈さんに今春のバックパック旅の体験談を寄稿していただきました。
こんにちは。林美奈です。私は大学の休みを使ってバックパックで旅をしています。今まで東南アジア横断、インド、ネパールに行きました。今回は2024年2月から3月の2か月間、1人でタンザニアとケニアを旅したので、そこで吸収したことを共有できたらと思います。
タンザニアでは現地のNGOや孤児院で、ケニアではスラムで、ボランティアをしました。ボランティア先は現地へ行ってから、現地の人に聞き込みをしたり、自分でインターネットで調べたりして直接探しました。アフリカでボランティアをしようと考えたのは、まず自分の友達や知り合いがアフリカに渡航しているのを見て刺激されたから。もう一つは、授業のなかでスラムの光について学び、これを机上で終わらせず、実際にフィールドに出向きたいと思ったからです。
タンザニアの首都ダルエスサラームからキリマンジャロの麓モシ、アルーシャと北上し陸路でケニアに入りました。
まずタンザニアのアルーシャではNGO「Rescue Children Charity Organization」で子供に英語を教えるボランティアをしながら、会計やSNS発信を向上させるお手伝いをしていました。このNGOは、2021年に設立。家庭の事情で親に育ててもらえなくなった子供や学校に通うお金を出せなくなったひとり親家庭の子供が、生活支援を受けたり教育の機会を受けたりしています。また、遠くて学校に通えない子供、障がいを持っている子供には、このNGOの方々が自分たちで各家庭へ赴いて食料支援などを行っています。ここでの活動を経験して印象的だったことは主に以下の5つです。
ある日、スイスのNGOから食料の配給がありました。この支援は不定期であるということでした。支援される側から見た支援の在り方をボランティアの立場から観察できました。次いつ支援が来るかわからないということが子供たちにも伝わっているのか、めったにないごちそうに何度も何度もお代わりをする子供、食べきれずお腹がいっぱいになり苦しむ子供がたくさんいました。「与えるだけの支援」とは支援する側のエゴではないか、本当に必要なのは自分たちで自分の生活を回していけるようにする支援ではないかと考えるようになりました。
タンザニアでは、教師への社会的評価がそこまで高くありません。給料が低く、小中学校の先生の給料は月給1万円ほどでした。
私が滞在していた場所には水道がありませんでした。毎日毎日近くの井戸に水をくみにいく必要がありました。現在は水道は通っているそうですが、水道代が高く払えないそうです。
支援するにはやはりお金がかかる現実を会計のお手伝いを通して改めて知りました。このNGOは夫婦で運営しています。妻が高校教師として働き、その収入と借金で運営しているため、夫婦自身の生活も苦しい状況です。そのため、支援金に頼るしかなく、不安定な状況が続いていました。彼らがビジネスで収入を得る仕組みを作る支援ができれば、運営が安定していくのではと考えるようになりました。
この夫婦の家庭には、実子1人と養子4人がいます。養子の1人はお手伝いをするという条件でスラムからレスキューされた11歳の子供でした。養子とは言われていましたが、児童労働そのものでした。実子と食べているものが明らかに毎日違い、それを聞くとその子が号泣してしまいました。自分の無力さに唖然とする毎日でした。
ケニアではキベラスラムでボランティアをしました。ローカルのNGO「Saidika Organaization」に個人的にSNSを通じて連絡をとり、プライベートスクールで数学や英語を子供に教えることになりました。キベラスラムとはアフリカで最大級のスラムです。様々な地方から都市に職を求めてやってきた人々の集合体で、それぞれの文化が共存する文化的モザイクといえます。スラムの住民はそのような複雑な状況で団結し、コミュニティー運動を行っていました。自分が対峙した現実を以下3つに分けて説明します。
ケニアでは政府が運営するパブリックスクールとプライベートスクールがあります。後者は政府からの支援がほとんどなく、カリキュラムもどのような教材を使うのかも運営者が決めています。資金は親からの学費に頼っていますが、確実に支払える親はほとんどいません。そのため、財政状況はかなり厳しく、スラムで働いていた先生は全員ボランティアでした。
ボランティアをしている理由は、大学を卒業し教師の資格を持っていても、パブリックスクールに応募しても採用されないからだそうです。パブリックスクールでは、先生1人に対して100人の生徒がいる状況にもかかわらず、青い服をきている男性は「7年間応募しているが返答がない」と話していました。
自分たちでスラムのなかにゴミ集積場をつくっていますが、ちゃんと処理はされないため身体にかなり有害です。自然発火、異臭、大気汚染が混在しており、ゴミが流れ込んだ用水路の水を間違えて飲んでしまった子供がお腹を壊すことが多々あるそうです。
このプライベートスクールでは、朝食に「ポリッジ(様々な穀物や栄養分が含まれていて、よく食べられている)」、昼食に「ウガリ(ケニアで常食とされるとうもろこしを練ったもの)」または米と安価な野菜(キャベツやスクマウィキとよばれる葉っぱ)の「スープ」を提供していました。スラムの子供たちは家で栄養のある食事をなかなか取れないため、給食が主な栄養源となっています。実際に小学3年生くらいの女の子がウガリを何度もおかわりしていました。それはかなりの量でした。しかし、野菜や果物などさらに栄養のある食事を提供するための資金は不足しており、都市部の物価も高いので、とても厳しい状況でした。健康的な食事にアクセスする困難を身をもって体感しました。
ここからは自分がスラムで見た光について3つ紹介します。
海外の支援に頼り切りになるのではなく、自分たちでビジネスを行い自立していこうとする動きを実際に見る機会がありました。例えば、学校の運営者が卵を売るお店を開き、ここでの利益を運営費に回しているとのことでした。また井戸をほり、水を浄化しミネラルウォーターとして売ろうとする動きも今起きています。
多国籍企業からの洗剤は便利であるが高価であるため、ケニアの伝統的な知恵を用いた洗剤を自分たちでつくる住民運動が始まっていました。
スラムにはコンポストトイレがたくさんありました。コンポストトイレとは、排泄物を分解して肥料に変えるトイレです。スラムのなかには畑もあり、野菜を育てていました。野菜を買うことが難しいため、自分たちで作ろうとの狙いがあるそうです。コンポストトイレで作った肥料を畑に使い、循環させていました。
以上、タンザニアとケニアを約2か月間旅をして学んだことについて紹介しました。
気候変動に弱いスラムでは、大雨による洪水でたくさんの人が犠牲になっているとスラムの友人からよく連絡が来ます。では、私たちに何ができるのでしょうか。残念ながら、私は無力感を感じています。大学生が支援金を送ることは難しく、現地の状況を広める以外にできることはありません。
この旅を通して自分のなかで大きく変わったことがあります。旅にいくまでは、現地の人を支援したいと考えていました。しかし、今思うと「私たちが支援してあげなくてはいけない」という偏見が根底にあったことに気づきました。支援は、時に支援者のエゴで、押し付けとなる可能性を大いに秘めています。そうではなくて、自立を支援することが大切です。
そして何よりも支援する側にベクトルを向けることが重要であると思います。私たちの消費行動などの日常的な活動が、回り回って支援したいと思っている人々の生活に影響を及ぼしているかもしれません。大事なのは、自分たちの生活をよりエシカルなものに変革していくことです。何かを変えたい、何かをしたいと思うなら、まずは自分の足元を見直す必要があると強く感じています。
大学での学びをきっかけに、実際に現地に飛び込んだ林さん。様々な経験を通じて視野が広がり、五感で感じることの大切さを学ばれたそうです。これからどのような人々と出会い、どのような道に進まれるのか、とても楽しみです。
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それでは次回の発見もお楽しみに。
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2022.01.11
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