2024年度能登半島地震復興支援ボランティア報告〈4〉
2024.06.24
どうもこんにちは、だーまえです!
先日、我が家のトイレの便座が割れました。母が修理屋さんに「20年以上も壊れずよくがんばってくれたわぁ。」というと、修理屋さんは笑いながら「ふつう壊れませんよ」って言いました。
本日は3月11日。9年前東日本大震災が起きた日……ということで今回は宮城県南三陸町のボランティアインタビュー記事をお送りします。
上智大学には南三陸町のボランティアに行く企画があります。南三陸町というのは宮城県の太平洋側にある地域で、東日本大震災の時には大きな津波被害に遭いました。
ところで、震災から9年たった今、ボランティアって何するの? がれき撤去とか食糧調達とかいう段階ではなさそう……という人、多いと思います。そして皆さんのカンは結構当たっていて、今ボランティアがやるべきことは上記で述べた内容から発展した、産業復興のお手伝いなのです!
産業といってもいろいろあって一口には言えませんが、林業や漁業などが南三陸町では有名でしょうか。
今回は実際に2019年5月に上智の南三陸町ボランティアに参加し、産業のお手伝いをしたという1年生(新2年生)、赤羽璃久さん(文学部英文学科)、福尾順哉さん(法学部国際関係法学科)、武田朋佳さん(総合グローバル学部総合グローバル学科)、野上文香さん(総合グローバル学部総合グローバル学科)の4人に話を伺いました!
彼らは復興市で物販のお手伝いを特別にさせていただいたそう。
復興市(だーまえ流解説)
復興市というのは南三陸町で定期的に行われているイベントです。復興を目的に南三陸町のあらゆる特産品を売り出す市のことで、お祭り感覚で行われています。現地の人のみならずボランティアや他地域の人も多く集まるのだとか。
5月に参加した時の具体的な品目はみそ、きゅうり、ホタテ、ホタテ入りクラムチャウダー、ホヤなどなど目白押し! うまそー! 袋を渡したり、場合によっては保冷用の氷を袋につめたりするのが主なお仕事だったそう。
現地の人からは休憩中に南三陸町のいろいろなものをごちそうしてもらったといいます。そんな南三陸町の方々の優しさを受けつつ、もどかしい気持ちも残ったと語るのは赤羽さんと福尾さん。
赤羽さん「活動中、自分はバリバリお手伝いするつもりだったんですけど、思うようにいかなくて。皆さんすごく優しいのでそれでもたくさんお礼を言ってくれました。でもそれは、ボランティアというよりお客さんとして出迎えてくれているから、という感じがあった気がします。自分が期待した内容で感謝されているわけではないなって思いましたね。」
福尾さん「正直、ボランティアをやるまでホヤのことがよくわかりませんでした。それで少し現地の方を悲しそうな顔にさせてしまって……。ホヤのことをよく知らなかったのは本当に失礼だったと反省しているので次からはきちんと予習していきたいです。それが現地の皆さんへの敬意になるとも思うんです。」
1年生とは思えない立派な回答に、だーまえは感心してしまいました。夏にひたすらコンセントに情熱を捧げた自分や秋にソフィアンくんにヘッドホンをつけさせようとした自分を恥じました、ハハハ!(何の話やという方はSophia Topicsのバックナンバーへどうぞ。)
復興市以外にも、インタビューをした4人にはボランティアで印象に残ったものがあるといいます。それは移動バス内での語り部さんのお話。
語り部(かたりべ)さん(だーまえ流解説)
語り部さんというのは震災や戦時中の体験を、口頭で語る人のことを言います。
「語り部さんは、震災当時の様子や現在までの歩みを教えてくれました。気温4~5℃で雪の降るなか、若い人たちが子供や高齢者を励ましながら、みなで泣いて校歌を歌い一晩を過ごした話や約1か月着の身着のままだったという話があったんですけど、聞いていてこちらも苦しくなりました。でも、そのような経験をしたおかげで、今は1日くらいお風呂に入れなくても大丈夫になっただとか、南三陸町が国内外に知ってもらえた今、ピンチをチャンスに変えてなくてはならないという意気込みだとかも語っていて、本当に前向きですごいなって思いました。」
そう語ってくれたのは武田さん。語り部さんの話に引き込まれてしまったといいます。「津波は憎めるけど海は憎めない。」語り部さんは所々で言葉をつまらせていたそう。目に涙を浮かべながらも時折笑顔を見せるその姿に、震災のショックの大きさ、本当は苦しいはずの心のうち、南三陸町への愛を感じたそうです。
また、語り部さんはボランティアはもちろん、南三陸町に観光に来た人がお金を使ってくれたり、もっと言うならば南三陸町に定住してくれたりする人がいるととてもありがたく嬉しいと言っていたそうです。
「5月のボランティアは1泊2日という短い期間でしたが、本当にやって良かったと思っています。恥ずかしながらどこか他人事だと思っていた東日本大震災のことをきちんと知ることができました。何より、南三陸町の人はすごく優しいし、南三陸町がめちゃめちゃいい町とわかって良かったです!色んな人に南三陸町の温かい雰囲気を広めたいです!」
インタビューの最後、野上さんはそう語ってくれました。
南三陸町の温かさヤバいよね、自然めちゃくちゃきれいだし、と激しく同意したのはわたくしだーまえ。インタビューをした4人とは別の機会に実は上智の南三陸町のボランティアに行っています。
南三陸町に思わず行ってみたくなってしまう写真を載せるのでぜひともご覧あれ!
はい、まずはモアイです。南三陸さんさん商店街にあります。
え、なんで南三陸町にモアイがあるの? と思った方は、今すぐ、あ、間違えました。この記事を読み終わった後にgoogle先生に尋ねましょう。ヒントは1960年に起きたチリ地震です。
続いてきれいな青空たちです。思わず手を伸ばしたくなってしまうほどの美しい青でした。どうでもいい超個人的な話ですがだーまえはきれいな青空が大好きです。
こちらは藍の葉っぱです。
だーまえは産業のお手伝いで藍染めの藍の葉と茎を仕分ける作業を行いました。藍染めで使うのは葉だけなのだそうです。
「藍の葉っぱは食べられるのよ~栄養満点だからきれいになれるわよ~!」と現地の方から聞いて、日頃の行いよりこれは食べろというフリなのだと解釈してしまった勘違いリアクション芸人だーまえは藍の葉を食べてみることにしました。
食べてみると、うわ、なんというか、めっちゃ、草。あ~草食べてんな~~という感じ。リアクションが取りづらいと思った矢先、(ありがたいことに)味の変化が訪れました。
にっっっが(苦い)! そう、藍は後から苦くなるテイストだったのです。
やられました。人が油断しているときに突如変化を見せるなんて、藍もこじゃれた性格をしています。
これはまるで講義をしていた教授が突然「あ、今のところテストに出るのでよく復習しておくように。」と事後的な報告をしてくるあの状況に似ています。ああぁあ!! あのときの裏切られた感がどの程度かというと、怒りのあまり授業中このままタピオカ飲みに行ってやろうか、とやけになってしまうほどです。何の話ですかこれは。
こちらは荒嶋神社です。
周囲は海に囲まれていて、海岸から島へ人工的に通路が作られています。東日本大震災で津波が訪れた際には津波が大きすぎてこの神社、島がもろとも飲み込まれ、まったく見えなくなったのだそうです。
こちらは荒嶋神社のすぐ近くの海岸です。
きれいな白い砂だなあ、なんて思っていたら「ここの砂は津波で全部持っていかれちゃったので人工的に砂を持ってきたんですよ。」と現地の方が教えてくれました。おお……。少したじろいでしまいました……。でも、ごみ1つなく本当にきれいな海岸で、大切に利用されているのが伝わりました。
こちらは林とその川です。
林業によってしっかり整備された林は、木々が生い茂っていてもたくさんの光が差し込むのでとても明るかったです。川の水が本当に透明でした。山の湧き水は消毒なしに普通に飲めたんですよ!
以前まで、危険のある被災地に住み続ける人や故郷へ戻ろうとする人に疑問をもっていたのですが、南三陸町に行ってみて、南三陸町にいたいと思う方の気持ちが痛いほどわかるようになりました。
これは大切にしたいと思うわ……。大切にしないといけないと思うわ……。
私が参加したのもわずか1泊2日のボランティアでしたが南三陸町がめちゃくちゃ好きになりました。本当に人が優しい。自然がきれい。また行きたい。これはインタビューをした4人ともすごく意見が一致しました。
興味のある方はぜひ次回の南三陸町ボランティアに応募してみてください。Loyolaを要チェックですよ!
では!
2024.06.24
2021.09.29