大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第9回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、荒井隆行先生(情報理工学科)からのご紹介、河﨑健先生(ドイツ語学科)です!
はじめに
情報理工学部の荒井隆行先生から引き継ぎました。荒井君とは中学1年生から高校3年生まで同期、上智には共に推薦入学をしました。教員になってからはほとんど会う機会はありませんが、今回久しぶりで彼からFIND SOPHIAのお話をいただきました。
上智大学に入学して
上智では現在所属している外国語学部ドイツ語学科に入学しました。学部時代はあまり真面目に勉強した記憶がありません。ドイツ語の上達が目標でしたが、ドイツ語を使って何を勉強したらいいのか分かりませんでした。迷いながら大学の勉強とは別に、語学学校で新聞を読む授業を取ったりしていました。ひとつの契機になったのは、2年生の春学期に東京サミットが開催された時です。上智の図書館で当時の西ドイツ・コール首相による講演会が開催されました。講演の後の質疑応答の時に、語学学校で読んだ失業問題の記事についてドイツ語で質問をしたところ、首相がジョークを交えながら答えてくれました。それがとても嬉しく、またその後、ドイツ語学科の吉田有教授からドイツの政治に関する書籍や新聞記事を沢山貸していただき、ドイツの政治に対する学習意欲が湧きました。しかしドイツの政治を研究している人は当時はほとんど見当たらず、ドイツ語学科の先生方は言語学が専門の方ばかりでした。当時の上智では外国語学部の国際関係論副専攻が花形でしたが、同じ社会科学でもドイツの国内政治は場違いな感じがしたので、大学院は他大の政治学研究科に進学しました。
大学院と留学時代
大学院ではドイツ語や日本語で政治学や社会科学の文献をひたすら読みました。ドイツ語学科時代の同期で大学院に進んだ友達と2人で読書会をして社会学の入門書を読んだりもしました。研究室の先輩は学部時代から政治学を専攻していた人ばかりだったので、勉強会でも最初の頃は話の内容がほとんど分からず、何とか政治学らしきものが分かった気になったのは、博士課程に進んでからだったような気がします。同じ頃、語学学校で読んだドイツの小説の解釈も面白く、文学と社会科学は共通項が多いように思えて、もっと学部時代に本を読んでおけば良かったと後悔したものです。
博士課程在学中に奨学金を取得してドイツのボン大学に留学しました。当時ボンはまだ統一ドイツの首都で、連邦議会の秘書研修の募集が大学の政治学科に張り出されていました。私はドイツの政党の議員候補者の選挙をテーマにしていたので、指導教授にお願いして研修生にしてもらいました。もちろん外国人である私がドイツ人並みに研修などはできません。幸運だったのは、雇い主の議員とその第一秘書が共に政治学を専攻していて、私の研究に理解を示してくれたことです。そのため秘書としての仕事はほとんどせず、議会図書館を使ったり、議員を介して色々な政党の議員や秘書にインタビューをしたりすることができました。選挙戦の時には議員に同行してテュービンゲンという町の選挙区廻りをして、一般の政党関係者から選挙区の政治について様々な話を聞けました。選挙当日は再選パーティーの後、党役員の人が自宅に泊めてくれたりもしました。
私の上司は旧西ドイツ出身議員だったのですが、同じ委員会所属の東ドイツ選出議員も紹介していただき、ケムニッツ(旧カール・マルクス・シュタット)という町にある選挙区の取材もできました。統一直後の東ドイツの政治家は良くも悪くも素人臭い人が多く、とくに地元選出の州議会議員が東洋の学生を珍しがって、地元の様々な会合に同席させてくれました。会合中や終了後には政党関係者の人々が懇切丁寧に説明をしてくれて有難かったものです。
日本に帰国してすぐにドイツ語学科に雇っていただきました。就職した後も休みの時には、留学時代に知り合った人と話をしに、なるべくドイツに行くようにしています。もっとも若い時のように、ドイツ人社会に没入した時間を過ごすことはなかなかできません。私が留学した時分はインターネットもメールも普及する前でしたし、日本の新聞も毎日読むことはできませんでした。そのため日本を忘れてドイツ人と四六時中接触せざるをえず、それが却って良かったのかもしれません。
外国で現地人としか接触できないというのはとても苦しいです。学生寮で一緒に食事をしていても複数名の会話にはなかなかついていけません。1対1の会話でもこちらが少しでも現地語ができるようになると、向こうは普通のスピードで話し出して、聞き取りが難しくなることもしばしばです。といって分からないことを全て質問するのも憚ります。ですが、その普通のスピードの現地語こそが本物で、授業ではっきり・ゆっくり話すネイティブの言葉は外国人用の学習言語です。本物をすべて理解するのはほぼ不可能ですが、最初のうちはたとえ10のうち、1,2でも分かれば上出来でしょう。その1か2は日本人との会話では絶対に聞けない内容かもしれません。今はネットやSNSが発達して、日本と全く接触のない外国生活など考えられないでしょう。しかし学生さんは短い留学期間中はなるべく日本を忘れて、現地の生活に没入してもらえればと思います。
おわりに
さて次回の執筆はドイツ文学科の中井真之教授にお願いいたしました。中井先生と私は同学年ですが、学生時代はドイツ文学科とドイツ語学科ということで接点はありませんでした。初めてご一緒したのは90年代後半に私が当時の一般外国語教育センターのドイツ語担当幹事を務めていた時です。当時一般外国語は改組の途中で、授業内容もコミュニケーション型の比率を高めるべく変更を迫られている最中でした。中井先生も当初はご苦労されたかもしれませんが、教員の会合では積極的に様々な意見を述べて下さり、教育にとても熱心でいらっしゃるご様子でした。その一方で最近お会いした時には、ドイツのワイマールにある古典主義財団滞在時のご研究についてとても嬉しそうに語っていたお姿が印象的でした。中井先生、よろしくお願いいたします。
次回は……
河﨑先生から中井真之先生(ドイツ文学科)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。