2021.08.30
この記事のすべては、偶然目にしたある一枚の写真に始まります。
衝撃でした、これがたった20年ほど前の光景だとは。さらに時を遡ったら、どんなキャンパス風景が見られるのでしょうか?
そこで今回の企画は、言葉と写真で楽しむキャンパスのBefore×After!
「学生の普段使いの建物」をテーマに、今からおよそ50年前の様子について、これぞというネタを盛り込みました。古い写真に付した年は、(一部を除き)そのひとコマが収められた撮影年を表しています。
大学が創立110周年を迎えたこの夏、メンストを歩きながらタイムスリップするかのような感覚を、一緒にご堪能いただければと思います。
記事の最後にも、注目です!
【タイムスリップルート】
2023現在
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1973前後
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北門前&12号館
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旧6号館前広場(1972~1973年頃)
さっそく建物が見つかりませんね。現在12号館が建つところは、写真手前に見える、横に長ーい旧6号館とその前の石畳の広場がひらけていた場所。右手に写る聖イグナチオ教会の建物も、現在のものに建て替えられる前の姿です。12号館を建てるときには、旧6号館の一部を寸断した(!)そう。
①北門
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旧6号館(1969年)
現在北門があるあたりに旧6号館がありました。写真からもわかるように、北門の形は旧6号館を模しています。旧6号館には2階吹き抜けのスタジオやアナウンス室を備えたテレビセンター、外国語学部専用のオーディオ・ビジュアル・ルームがあったようです。
②7号館
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7号館(1969年竣工、撮影時期不明)
1969年に建設された7号館は現在も当時の姿のまま残っています。14階建てで当時は文学部や外国語学部の教員研究室、大学院の研究室として使用されていました。また、今は入れない屋上でメンストを見下ろすことができたようです。後ほど紹介しますが、7号館の隣には喫茶室がありました。その影響か、キャンパス内では他と比較にならないくらいほど学生数が多い場所だったとか。
③北門からメンスト中央へ向かう途中
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掲示板(1984年)
日々の大学からのお知らせや休講・教室変更チェックはwebシステムのLoyolaから、が当たり前となった今では、感動のリアル掲示板。にぎわう喫茶室の前からメンストの交差点部分までずらりと並んでいます。朝登校した学生はまずここへ来て、休講の掲示に目を凝らしていたとか。
④2号館
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旧図書館&旧2号館
「大学院校舎」の名前で親しまれた旧図書館と、「法学部校舎」こと旧2号館。渡り廊下で繋がっていました。
2号館正門側
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旧図書館(大学院校舎)(1975年)
1階、かつて正門横に建っていたホフマン像の脇を通って玄関を入ると左手手前に雑誌閲覧室、奥に教室、2階にも教室と国際部専用図書室、そして3階が図書館のメインでした。3階の半分が閲覧室、というのも図書の書棚は閉架式だったからです! 学生は踏み入れられない1階から3階の書庫には、蔵書約33万冊が(現中央図書館は約100万冊)。
2号館メンスト中央側
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旧2号館(法学部校舎)(1973年)
2~5階に教室、経済学部や哲学科の研究室、1階に合同教室×2個と学生生活課・教務課etc.、地下1階にはなんと柔道場(恐らく全面畳張りで、その広さ180㎡)が。ちなみにこの地下へ続く暗い階段を降りると、柔道の声が響き渡っていたよう。
図書館が現在の場所へ移った後は、天井の高さを利用してラウンジとして使われたとか。それから更地になり、駐車場になり、18年前、ついに今の2号館の姿になったそうです。
⑤6号館
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上智会館(男子学生寮)・喫茶室(1974年度卒業アルバムより)
地下1階、地上5階の建物であった上智会館は、主に男子学生寮として使用されていました。地下1階には娯楽室や浴室、日用品を販売した売店、1階にはロビーや食堂、2階には学生寮と聖三木図書館とその閲覧室、3階には学生寮と聖堂、中3階には学生寮、4階には学生寮と大小4つの音楽室、5階にはオーケストラ練習室がありました。また、各階には会議室、談話室、集会室、休憩室などがあり、一般学生も利用することができたそうです。
会館の付近には学生のたまり場の一つであった喫茶室がありました。午前・午後問わず満員で昼間からビールを囲んでいた人たちもいたとか。
⑥1号館
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1号館(1973年)
当時すでに「昔が偲ばれる」建物となっていた1号館。上智最初の学び舎「赤レンガ校舎」の東京大空襲による焼失も、隣で目にしてきたようです。1932年の竣工当時は、1階に図書室、地下に書庫、さらには食堂から浴室までそなえていたとか! またその昔、屋上(この存在、知っていましたか?)は柔道部の練習や放送研究会に使用されたとか。放送研究会の部屋は、なんと今も使用はされないながら残っているといいます。
⑦8号館
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8号館(1972年)
50年前、「出来たばかり」の建物だった8号館は各教室100人以上収容できる広さ、と華々しく(?)紹介されています。1階部分は50年変わらず「8ピロ」の愛称で親しまれ、雰囲気も変わっていないよう。学生から挙がる「ちょっと暗い」「椅子と机の間が遠い」という声には、親近感が湧きますね(笑)。空気感に違いはあれ、先ほど通ってきた「喫茶室」、「学食」と並んで学生のたまり場となっていたもよう。
ひとつ違うことは、ちょうどその頃ピロティ―の真ん中に「得体の知れない」黒い彫像が置かれたようで……。
体育館
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体育館(1972-73年)
恐らくその黒い彫像というのがこれ(今はどこに行ってしまったんでしょう?)。体育館の中のほうは、地下に柔道場、剣道場、プール……とおなじみの顔ぶれ。
⑧3&4号館
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3&4号館(1965年)
50年前すでに、「白亜の校舎」こと3・4号館は繋がってコの字型を描いていました。この2つの建物、当時から理工学部専用の校舎だったようで、高圧電源室、電子顕微鏡、電子計算機室(PC室の古い言い方のようです)など今にも受け継がれる設備をほこっていました。昔の見取り図の中に「図書室」とあるのにも驚いていたら、なんと今も「数学図書室」が地下に! ただし当時の5階には突然語学研究室がひと部屋あったり、1階には理事長、学長、副学長のお部屋が並ぶ一角も。
最後に気になるのは、ソフィア通り側から撮影された上の写真に写る外壁のモチーフですよね。いつの間にかなくなっていたそう……。
⑨9号館
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大島館(1976年)
9号館が3号館と4号館の上に橋渡しのように乗っかる前には、今からは想像もつかないこんな建物が。女子学生の休憩所、自習室、なんでも相談室があったようで、1973年の上智新聞には「女子学生の城」と書かれています。男子禁制というこの建物の中は、1階に薄暗い西洋風の玄関、そこから2階へ細く暗い階段がのびるつくり。1976年には取り壊されてしまったものの、当時すでに歴史を感じさせていたこの建物は、かつての大島久直(明治・大正期の陸軍軍人)の邸宅。
⑩中央図書館
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5号館(1967年)
現在の図書館がある場所には、今は無き5号館が存在していました。5階建てでSPS(Student Personel Service)と呼ばれており、1階には健康管理を行う診療所、2階〜5階に課外活動の部屋がありました。
⑪10号館
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旧クルップ・ホール(1962年)
当時のメンスト突き当たりでTの字をつくっていたこの建物は、別名「実験実習工場」。突き当たりと言っても現在より少し手前で、現10号館と中央図書館の間を通る坂道(ザビエル坂と呼ぶらしい)のあたりをふさぐ位置。目印は屋根についた6個の丸。後ろには森を抱えています。
番外編
〜およそ50年前には、森だったり上智の建物ではなかったり〜
航空写真(1974年度卒業アルバムより)
11号館
航空写真では森が広がります(その1)。
紀尾井坂ビル
航空写真では森が広がります(その2)。
13号館
航空写真では森が広がります(その3)。後に福田家ビルが建ち、2015年にその建物を大学が購入。現在1階に入っている「紀尾井亭」は、首相や海外の大統領が訪れた高級料亭「福田家」をそのまま利用したもので、数寄屋造りの玄関がその名残を留めているようです。
14号館
14号館は1911年にアメリカで設立されたメリノール宣教会(The Maryknoll Society)が東京管区の拠点として所有していた修道院です。2019年に改修され、上智大学の校舎として生まれ変わりました。現在は教室や研究室として使用されています。
15号館
現在はキャンパスきっての新館、15号館が建つ前まで、その地はなんと近所の子どもたちが集まるそろばん教室でした!
※現在の写真を除くすべての写真、資料、情報はソフィア・アーカイブズ提供です。
【建物年表】
1913 上智大学 開設
1914 赤レンガ校舎 (~1945。東京大空襲で焼失)
1932 新校舎(現1号館)
1952 図書館・大学院校舎(旧2号館。~1992)
1956 上智会館(~2006)
1957 法学部校舎(旧2号館。~1992)
1962 3号館、旧クルップ・ホール(1979移転、新築)
1965 4号館、マシン・ホール
1967 5号館(~1981)
1969 旧6号館(~2008)、7号館
1971 8号館、体育館
――50年前――
1977 9号館(地下カフェテリア)
1979 クルップ・ホール移転、新築
1980 ホフマン・ホール
1982 10号館
1983 中央図書館・総合研究棟
1992 11号館、紀尾井坂ビル
2005 2号館
2007 12号館
2015 13号館取得
2017 6号館(ソフィアタワー)
2019 14号館取得
2022 15号館
【記事back number】
キャンパス内の建物、特にその歴史を紐解いたこれまでの記事を集めました。
【おわりに】
いかがでしたか? 現在の上智大学と50年前の姿を比較すると、今も残り続ける建物の変わらない風景と新しい建物ができて変わっていく風景を発見することができました。また、上智新聞や上智大学通信、卒業アルバムなどから当時のキャンパスライフについて調べれば調べるほど、興味深い内容が出てきてワクワクしました。風景の記録や記憶の保存は当時を振り返る大事な材料であると再認識しますね。まだまだ知らないことがたくさんありそうです! 皆さんも是非、創立110周年を迎える上智大学の歴史を振り返ると同時に、限りある学生生活の思い出を記録していってくださいね!
最後に、この記事が形になるずっと以前から、今日まで伴走してくださったソフィア・アーカイブズの後藤様、大塚様をはじめ皆様に心より感謝申し上げます。