2021.09.14
2021.09.14
ボランティア・ビューローでは2011年に発生した東日本大震災以来、各地の復興支援ボランティアでの活動に交通費補助を行っています。この制度を利用して能登半島へ災害復興支援ボランティアに参加した学生の声をお届けしていきます。今回は木原充智さん(情報理工学科1年)からの報告です。
石川県珠洲市
2024年6月22日(土)
21:00頃 新幹線にて金沢駅到着
06:10 金沢駅西口 集合
09:30 現地到着 受付・オリエンテーション
10:00 復興支援活動① 一般民家の片付け
12:30 ボランティアセンターで昼食
13:00 復興支援活動② 漁港の清掃作業
15:30 ボランティアセンター出発
18:45 金沢駅西口 到着
12:00頃 新幹線にて金沢駅出発
集まった参加者40人が8〜10人の班に分けられ、ボランティアセンターから割り当てられた支援要請を元に各班がそれぞれの支援先に向かった。私の班は午前は一般民家の片付け、午後は地元の漁港の清掃作業を行った。
海辺の近くに住む高齢者の一戸建て住宅で部屋の片付けや整理を請け負った。私は他の男性メンバーとともに冷蔵庫、洗濯機、食器棚、マットレスといった大型の家電や家具を軽トラックに積み、さらに粗大ゴミの集積場での荷下ろしを行った。
珠洲市内の漁港にて津波で港中に散らかった網やパレット、浮きや台車などの器具類を片付けた。損傷して使用不能となったものを処分場へ運ぶため、トラックへの積み込み作業を担当した。
今回の活動を通して、被災地には大きく分けて次の3つの課題を抱えていると感じた。
ボランティアバス(以下、ボラバス)の席数や現地のボランティアの受け入れ体制から各日の定員は40名に制限されており、現状被災者からのたくさんの支援要請に対して1日あたり最大7~8件ほどしか対応できていないという。今回携わった支援先の一つでは、地震発生から時間がかなり経過したせいで屋外の備品が雑草まみれになり、雑草を除去するのにかなりの時間を取られてしまった。ボランティア活動の運営側を手伝うボランティアも募集することで復興支援活動をより加速できると感じた。
また、全体的に若者の力が足りていないようだった。今回の参加者の約8割が中高年世代で、学生は残りの2割ほどしかいなかった。参加していた学生も全員ボーイスカウトや大学のボランティアプログラム等の団体に所属しており、個人で参加している学生は私一人だけだった。学生が個人で災害ボランティアに参加することに対して心理的なハードルがあると感じた。私たちボランティアの経験者が積極的に活動実績やその意義を発信し、体力のある若者の参加率向上につなげる必要性があると感じた。
被災者との交流を通して、やはり気持ちの整理に苦労している人が多く見受けられた。中には地震からかなりの月日が経過しているのにボランティアが中々来てくれないことに苛立っていた方もおり、被災者とボランティアの間での小さな衝突も経験した。被災者の中には地震で大切な家族やものを失い孤独感を感じている人が多くいる。しかし、そのストレスを吐き出す場所がなく、怒りや悲しみへの対処に困られていることも強く認識した。ボランティアが災害廃棄物の片づけや運搬作業に割かれているためどうしても被災者へのメンタル面でのサポートが後回しとなりがちである。Zoom等のビデオコミュニケーションツールを活用し、遠距離からでも被災者の話し相手になるボランティアも必要なのではないかと感じた。
今回ボランティア活動した時間は5時間弱で、金沢駅から珠洲市までの往復の移動時間の6時間より短い。「粗大ゴミの集積場は15時30分で終了するのでそれまでに作業を切り上げられるように」とボランティアセンターの方から強く言われるなど活動時間を制約される場面が何度もあった。珠洲市までの移動に時間がかかることは仕方ないが、ボランティアの活動時間をなんとか延長する方法はないだろうかという思いを強くした。
初めて珠洲市を訪れ、私は被災地の予想以上の被害の深刻さに非常に驚かされた。道路はアスファルトのひび割れや崖崩れなどで何箇所か通行制限がかかっており、道沿いの店もガソリンスタンドやコンビニといった必要最低限の店を除いて多くが休業中だった。また、街中では人影が全然見られず、全体的にすごく活気がないと感じた。一般家屋についても屋根を一面ブルーシートでおおって瓦の落下を防いでいる家や、2階建ての家の1階部分が完全に潰れている家も多く見受けられた。地震から半年近くが経過し、テレビのニュース等でも被災地に関する話題を聞く機会が減少してきている。そのためか、私は少しずつでも以前の姿へと回復しているのだろうと思い込んでいた。しかし現実にはむしろ、二次避難等により多くの住民が市外に避難したままで、なかなか復興活動が進んでいない。こうした現状を目の当たりにして大変衝撃を受けた。 被災者とお話ししていく中で、地震で一度失われた街を再生することがどれほど大変であるか、またどれだけ外部からの支援を必要としているのかを強く思い知らされた。
一方、実際にボランティアとして復興支援活動に携わって、私はさまざまな出会いや被災者との交流に関する学びもできた。東京・山梨・山形・大阪など異なる出身地や年齢の方たちと共に支援活動をして、お互いのボランティアに対するさまざまな想いを共有できた。参加者の中には月2回のペースで参加しているという方もおり、私も彼のような奉仕の心を持ち続けたいと強く感銘を受けた。
ただボランティアの多くが被災地と遠く離れた地域から訪問し、実際に地震を経験していないことは、被災者の気持ちを理解することの難しさにも繋がった。私たちボランティアにとても優しく接して下さる被災者の方々が内心どれほど苦しんでいるのか、そして彼らが快くいられるためにどのような行動を取ればいいのかをずっと模索し続けていた。
他にも、地元の方言で話される被災者の方が多く、ボランティアが方言をわからないせいで対応が遅れることもあった。想いや要求をもっと素早く正確に汲み取るために、言い換えや質問を工夫すれば良かったと反省している。被災者という特別な事情を抱えている人とのコミュニケーションは初めてだったので、どう接するといいのかを探求できたことは大変有意義だった。
まとめると、災害復興ボランティアを通して被災地へ貢献すること以外にも、実際に活動をすることでしか得られない多くの学びや成長を得られた。これを機に、ぜひ皆さんも参加していただきたい。
言うまでもなく被災者は地震で多くの大切なものを失っており、多くの人がその辛さを今も抱えている。被災者に笑顔で寄り添うことは彼らの苦しみや不安を和らげるほか、ボランティア活動をする上でお互いの信頼感構築にも繋げられるだろう。ボランティアを要請した被災者の方々は勇気を出して災害から新たな一歩を踏み出そうとされているから、彼らが一日でも早く元通りの生活を送れるよう心理的な支援についても意識していただきたい。
今回非常に大きな食器棚を3人がかりでトラックに運んだ際、1人が急に手を離してしまいバランスが崩れ、危うくメンバーが棚の下敷きになりかけた。複数人で物を運ぶなどの共同作業を行う際はきちんと掛け声をかけて互いに息を合わせることが大切だと実感した。また、作業中に危険な箇所を検知した際にも、必要に応じて相手の名前を呼び、他のメンバーに注意喚起することも重要だと感じた。基本的なことではあるが、実際に現場を訪れると被害の凄惨さに気を取られ冷静さを失いやすいので気をつけていただきたい。
今回珠洲市から金沢駅へとボラバスで帰る際に立ち寄ったパーキングエリアで、能登金時芋のワッフルと能登ミルクを購入した。ワッフルはお芋のしっかりとした甘さが引き立っており、牛乳も絞りたてでとても濃厚で、いずれも大変おいしかった。被害が最も深刻だった奥能登以外の地域は少しずつ店も営業再開し元通りの生活に回復しつつある。少額であっても被災地にお金を落とすことによって我々も現地の活性化に貢献できると思う。被災地で作業を手伝うだけではなく経済的な面でも復興支援に貢献していただきたい。
長袖・長ズボン
怪我防止のため。同じ班のメンバー曰く、過去には能登地方の伝統工芸品輪島塗に含まれる漆の成分によって手足がかぶれる事象も発生した模様。
手洗い用の水やウェットティッシュ
地震から半年近く経った6月下旬の時点でも断水が完全には解消されておらず、支援先によっては水資源が限られているため。
プラスチック袋 (数枚)
昼食等で出たゴミや汚れた手袋などをしまうため。
アイマスク・ネックピロー等 (ボラバスを利用する場合)
金沢駅から被災地までボラバスで2.5~3.5時間ほどかかり、その間に体力を温存させるため。実際、往路は早朝の出発、復路は活動後の疲れにより多くの参加者がお休みしていた。空気を入れて膨らませるタイプなどコンパクトなものが100均でも購入できる。
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