大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第15回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、桑原英樹先生(機能創造理工学科)からのご紹介、竹村りょうこ先生(基盤教育センター身体知領域)です!
基盤教育センター身体知領域の竹村りょうこです。教職員テニスクラブに参加させていただいた繋がりから、桑原先生と出会うことができました。今回のリレー大変嬉しく、しっかりと引き継いで担当いたします。
学生時代から、SOPHIAの一員に至った現在までを振り返ってみたいと思います。
様々な分岐点を経て
大学生活は自身にとってのチャレンジでもありました。スポーツをすることと大学での学びを両立させていくことに日々取り組んでいたという感じです。授業以外はテニスの日常だったので、授業を受けている時間が新鮮だったことが記憶に残っています。4年というゴールに向かってなんとか一つ一つ積み上げていったというのが正直なところです。体育会にも所属し、大学やチームの一員としての自身の存在や責任を認識する貴重な経験にもなりました。厳しさも含め、先生方や先輩後輩、仲間から受けた影響は大きく、競技においても日常においても、物事の捉え方など大きく変わる4年間でした。
「大学を卒業してからも海外で活躍する選手」これが学生時代にたてた目標です。当時、大学を卒業してから海外ツアーに参戦するケースはほとんどみられず、前例が無い選択肢に少しわくわくしていたかもしれません。それでもプロ選手になると決めたのは大学4年生になった頃だったと思います。この決断の背景には、同時期に幾つかの大会で連勝した期間があったのですが、その頃行ったオーストラリア遠征4大会で、全て予選1回戦負けをしたことが理由にありました。今勝てていても漠然とした思いではプロでやっていくことは難しいだろうと感じていた自分にとって、世界の中でも対等にプレーが表現できるようもっと上手くなりたいと、軸となる意志へと変化し、プロ転向に至る経験となりました。
プロになってから年間3分の2程度は海外遠征をしていました。世界各国で毎週大会が開催されている為、ランキングに応じて出場可能な大会を確認しながら予定を組んでいきます。連戦の疲労から、調子は上がるのに身体がついていかなかったり、車椅子で帰国したりといったこともありましたが、オフシーズンが無い中で、年間またキャリアを通して壊れないようにどう調整していくかが非常に重要だったと思います。今思うと、よくここにいるなという経験もありましたが、試合をする以前に、コート外での予想外の出来事への対応力や鈍感力も必要な要素だったかもしれません。
プロ期間中20ヶ国程転戦しましたが、テニスコートと会場の往復と、移動や帰国という繰り返しでした。華やかな場所に立って無我夢中になった瞬間もあれば、異国の地でふと負ければ帰れるという思いとの葛藤の中過ごしていた記憶もあります。場所にかかわらず、パフォーマンスを出すための日常作りの連続だったと思います。世界を転戦していましたが、テニスに出会って、続けていく中で、そこに大会があったから行ったという方が正確な表現になるでしょうか。
想像を超えた場所に
現在の自身の研究テーマの一つにも繋がっていますが、幼少期からテニスのプロ選手になって、海外を転戦するということは、自身も周囲も想像していたものではありません。いろいろな分岐点での選択が、少し難しいこと、当時前例の無かったこと、そういったところに動かされていたことで繋がったように思います。プロに至っても、周囲は凄いパワーを持っている人ばかりの中で、自身だけの勝手なチャレンジがあったことで、あの場所にいられたのでは無いかと感じています。
競技から移行するように、研究者としてゼロからスタートし、現在に至ります。研究の中にもスポーツ集団をテーマに置いたことに、個人競技のテニスをしてきた中でなぜかと問われたこともありましたが、集団の中の個としての経験が自身に与えた変化が理由にあります。For Others, With Othersを掲げるSOPHIAの一員となって様々な学生との出会いがありますが、これまで獲得してきた経験が研究や授業に重なり、何かのアイデアやきっかけに繋がることを願って、これからも試行錯誤の日々を過ごしていきたいと思います。
次にバトンをお渡しするのは、教職協働イノベーション研究でご一緒させていただいた、言語教育研究センター横本勝也先生です。大変楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
次回は……
竹村先生から横本勝也先生(言語教育研究センター)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。