大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第16回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、竹村りょうこ先生(基盤教育センター身体知領域)からのご紹介、横本勝也先生(言語教育研究センター)です!
教職協働イノベーション研究でご一緒させていただいた竹村りょうこ先生よりバトンを受け取った、言語教育研究センターの横本勝也です。専門は英語教育です。この分野に踏み込んだ大きな転機となった学部生時代から英語教師になるまでを振り返らせていただきます。
英語教育分野への第一歩
私が大学2年生になる前のある日、教職課程の案内を目にした際、自分の教師姿を鮮明に想像できたため、教師を目指すことを決めました。経済学部生だったので、公民科と地理歴史科の教員免許取得を目指すのが一般的ですが、これらの科目は当時採用枠がほとんどありませんでした。教師になるには、毎年10数名採用していた英語の教師を目指すしかないと、経済学部生を続けながら英語教師を目指すことを決めました。
ロシア語の先生の意外な助言から始まったTESOL修士への道
教職のために実際に英語関連の科目を履修すると、周りにいるのは英文学科の学生ばかりでしたので、私との英語力の差は歴然としていました。当時の私の英語力は英検4級レベルでしたから、無理もありません。それでも毎日のように、クラスメートに助けられながら英語関連の科目もなんとか単位の取得はできました。
英語力のなさを毎日のように痛感していた私は、留学を視野に入れ始ました。最初は1年間程度の語学留学でもすれば、英語力に関するコンプレックスも解消されて、英語教師としてやっていけると考えていました。当時親身になっていろいろ相談に乗ってくれたロシア語の先生にそのことを話すと、彼女の口から意外な助言が飛び出しました。
「折角留学するならTESOL修士を目指したらいいじゃない。」
当時の私にはTESOLという言葉の意味も分かりませんでしたし、大学院留学というのは手の届かない存在でした。それでも、その世界に飛び込みたいと強く思うようになり、自分の英語力のことはすべて棚に上げてアメリカ大学院留学とTESOL修士取得を目指すことを決心しました。
遅れを取り戻す必死の勉強期間に培った基盤
大学院留学への道のりは一筋縄には行きませんでした。まず苦労したのは、GPAを上げることでした。それまでは、単位は取得できればいいと考えていたので、「可(C)」で取得した単位数が多くGPAが足りませんでした。大学院進学を目指すなら3年生以降、相当数の単位を「優(A)」で取得する必要がありました。それでも教職科目を含め4年間で計236単位を取得し、何とか目標のGPAを達成しました。
また、大学院入学に必要だったTOEFLとGREのための試験対策の勉強も苦労の毎日でした。とにかく単語が覚えられず、毎日泣きながら英語学習を継続しました。在学中はもちろん、大学を卒業してからもしばらくフルタイムで働き、副業でバレーボールのコーチをやり留学資金を貯め、その間も一日も休まず毎日英語学習を続けました。その努力が実り、無事大学院に入学でき、その2年半後には目指していたTESOLの修士号を取得し、めでたく英語教師になることができました。
今振り返ると、英語とは無縁だった学生だったため大変苦労しましたが、非常に充実した毎日だったことは間違いありません。自分で決めた将来の目標に向かって一心不乱に努力を継続したことが、現在の私の基盤となっているのだと確信しています。学生たちにも是非、自分で目標を設定して、それを達成するために全力を尽くしてほしいと心から願っています。
私からバトンをお渡しするのは経営学科の杉谷陽子先生です。とても英語が堪能で、消費者行動や産業分野のAIの活用など、非常に興味深い研究をされていらっしゃいます。杉谷先生よろしくお願いいたします。
次回は……
横本先生から杉谷陽子先生(経営学科)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。