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上智のいまを発見

【先生コラム】木村護郎クリストフ ゴクゴクサンジュウゴク

2025.05.12

大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第20回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、下川雅嗣先生(総合グローバル学科)からのご紹介、木村護郎クリストフ先生(ドイツ語学科)から寄稿を頂きました!


ゴクゴクサンジュウゴク

下川先生から、私の原点を、とのことで、バトンをいただきました。タイトルにあげた呪文のような言葉が、私の一つの原点かもしれません。意味不明に思われるでしょうが、種明かしは少し後にいたします。

私は父が日本人、母がドイツ人ですが、家ではおしゃべりな母がひたすら話し、無口な技術者の父はほとんどうなずくばかりだったため、日本で生まれ育ちながら、日本語をほとんど話せないまま幼稚園に入りました。はじめは先生や他の園児たちが何を言っているのかわからず、地震の訓練で本当に地震が来ると思って一人で机の下で震えていて笑われたり、工作で指示がわからず勝手に好きなものを作っていたりしました。他の子にみつからないように園庭を隠れまわるという、今思えば何とも寂しい「一人かくれんぼ」をしていたこともありました。自分では覚えていないのですが、幼稚園の塀によじ登って脱走をはかったこともあったらしいです。

下川先生が鋭く指摘された私の自由への愛(表面的にはフツーに社会人しているつもりなのに、どうしてそれを見抜かれたのでしょうか!?)は、そんなところで芽生えたのかもしれません。ちなみに、自由を愛するあまり、未だにガラケーもスマホも持ったことがなく、あまりネット空間をあれこれみないので、失礼ながら、このFind Sophiaの存在も今回バトンがまわってくるまで知りませんでした・・・・・・。

小学校に上がるころには友達もできて日本語も話せるようになったのですが、最後まで残ったのが、うがいのときに喉の奥で発する音のようなドイツ語のRの発音でした。それが日本語のラ行よりはガ行音に近く聞こえるようで、表題にあげたのは、小学校のとき、「ろくろくさんじゅうろく」のつもりで発したことばでした。皆の前で九九の暗唱を発表したとき、6が出てくる度にクラスに笑いが広がりました。私はちっともおもしろくなかったのですが。名前を聞かれて、Goroというと、「かっこいい名前だね」と言われて、なぜかと思ったら、「五号」と思われていたとか(新幹線やロケットじゃあるまいし)、親は画家かと聞かれて、なぜかと思ったら、「ゴッホ」と聞き取られたとか、いろいろありました。

また両親が一つずつ名前をつけて、くっつけて出生届を出したので「護郎クリストフ」という名前なのですが、「クリストフ」といった聞きなれない名前で目立ちたくなかった(しかもここにも恐怖のラ行が入っている!)ので、ふだんはいわば通名として「護郎」だけを使っていました。小学校の卒業式のときに本名を呼ばれるのが恥ずかしくて、「クリストフ」は読まないで、と校長室までお願いに行ったこともありました。
家の中はドイツ語・文化が支配的で、遊びに来た友だちには、「きむらんち、ドイツみたい」と言われました。外の日本語・文化の常識とのギャップによって、傍から見ればおかしな行動をとることもありました。(えっ、今も?)

だから、大学に入って社会言語学という学問分野を知ったとき、これだ! と思ったのです。ことばは文化とつながっているし、人と人を結び付けたり切り離したりもするし、人を生かしもすれば傷つけもします。そんな言語の社会的な機能の多面性を探究したいと思うようになりました。当時、日本の社会言語学はまだ立ち上げの時期で、学会も専門誌もない状況でした。そこで、学部4年生の頃から、大学院生の先輩たちと一緒に研究会をはじめました。世界の社会と言語について学ぶ会といった趣旨で、「世界社会言語学会」と名乗っていました。発表したことをまとめる雑誌をつくることになり、大学の印刷機を借りるとき、どういう団体か聞かれ、「世界社会言語学会です」といったら、問題なく貸してもらって作業ができました(笑)。その時、手作業で製本テープを貼って作ったのが、日本で最初の社会言語学の専門誌でした。

「世界社会言語学会」の合宿(左:八ヶ岳エスペラント館、右:かんぽの宿三ヶ根)

以降、とりわけ言語的な多数派と少数派の共生、また異なる言語を話す人同士がどのように関係を作っていけるかということに関心をもってきました。少数民族の権利や移住者の言語的困難、紛争によって関係が断絶した人々の和解など、言語をめぐる課題が山積しているのに、「コミュニケーションの道具」(にすぎない)といった、あまりにもノー天気な言語観が広がっていることに対する違和感が研究の一つの原動力かもしれません。言語は道具というより、人間をとりまく環境の一部とみた方がよいのでは、と思っています。

人間をとりまく環境としての言語への注目は、より広く環境問題への関心とも結びつき、環境意識や自然観の問題にも首をつっこんで、今に至ります。関心が分裂しているようにみえるかもしれませんが、私の中ではすべてつながっています。最近は、「環境倫理」があるんだったら、「言語倫理」があってもいいんじゃないか、といったことも考えています。

次のコラムは東大作先生にお願いしたいと思います。東先生は、上智にいらっしゃって本当によかったと思う同僚です。平和構築のために世界を飛び回って活躍されていますが、国内や学内のさまざまな課題にも同じ熱意で取り組んでいて、いつも感服しています。東先生を突き動かすものは何かなど、うかがえたらと思います。


次回は……

木村先生から東大作先生(グローバル教育センター)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。