大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。7月にウクライナからの留学生の受け入れを開始する前に、今回はウェルネスセンター長で心理学科の横山恭子先生に「心を向けるということ」をご寄稿いただきました。
2月24日にロシアがウクライナに侵攻して以来、連日のニュースでは目を覆いたくなるような映像が流れてきています。ニュースから目を離しても、頭のすぐ上の方には暗雲が立ち込めているような毎日です。涙というのは、時として心を浄化するような作用を持つことがありますが、今回流される涙は、悲しみと怒りと無力感が入り混じり、心の安定にはかなり遠いものです。とはいえ、ご家族や友人が当該の国にいらっしゃる方は、心が戦車に押しつぶされているような痛みを抱えていらっしゃることでしょう。
惨事があると、私たちはテレビをつけっぱなしにして、同じような映像を繰り返しみたり、ながら見をしたりしがちなのですが、そのような行動がメンタルヘルスに悪い影響を与えることが知られています。(惨事報道の視聴とメンタルヘルス 日本トラウマティックストレス学会 https://www.jstss.org/docs/2022030300033/file_contents/sanjihoudou.pdf)
もし、悲惨な映像に慣れてしまったとしたら、これはもっと恐ろしいことかもしれません。やはりテレビやネットは時間を決めてみるようにできると良いのではないでしょうか。それ以外の時間は、心の柔軟性を保つためにできることを工夫しましょう。心がこわばってしまうのは、自分の心を守るためだとは思いますが、人の苦しみや悲しみに無関心になっていくことだと思います。「何もできない」という無力感に苛まれ続けることも、そのような状況に陥りやすいのかもしれないと考えます。
自分が自分らしくあるために、いろいろなことに心が動くという普通の心のありようを保ち続けることができるために、五感を働かせて好きなことを楽しむことは大切だと思います。「味わう」「嗅ぐ」「触れる」「聴く」ということを意識して行うことは、心の柔軟性を高めるのには役立つと言われています。「見る」ということも大切だと思うのですが、スマホやパソコンや文字で酷使されていると思いますので、「目が喜ぶもの」を見せてあげられると良いかもしれません。
自分を保つために、「手を動かすこと」というのも、効果的ではないでしょうか。禅寺では、作務というのは坐禅と同じくらい重要な修行だと言われているようです。お掃除をすること、お料理をするというようなことに心を込めて取り組むと、少し心が洗われ、落ち着く感覚を持つことはないでしょうか。
そこまで考えてきた時に、ふと、日本では普通に行われている「鶴を折る」という祈りのあり方は、非常に興味深いと思いました。私たちは、病気の平癒を願い、平和を願って鶴を折ります。これはある種の祈りの形なのでしょうけれど、頭だけで心配しているよりも、手を動かし心をこめることには意味がありそうです。また心を寄せていることを示すことにもなるのかもしれません。以前、トーヨーという会社から出ている「おりづる」という国旗の折り紙があったことを思い出し、苦しんでいるウクライナに1日も早く平和が訪れることを祈りながら、「おりづる」にはなかったウクライナカラーのおりづるを折ってみました。ささやかですが、できるだけ柔らかな心を保ちつづけて、ウクライナの方に心を向けつづけていきたいと思っています。皆様もいかがでしょうか?
担当memo
横山先生の記事で知らずしらずにこわばった心の状態に気づいた方もいるかもしれませんね。写真を参考に久しぶりに鶴を折ってみました。デスクに飾ったバイカラーの折り鶴を見るのも、心がふと和む時間になっていますよ。
さて、6月27日にはウェルネスセンター主催のウクライナ学生受入準備講演会「戦災がメンタルヘルスに与える影響」が開催されます。来日する学生たちを温かく迎えられるようこの講演を聞いてみませんか?