大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。今回は、ポーランド留学から戻られたばかりの総合グローバル学科4年の石田瑠梨さんにご寄稿いただきました。
みなさん、はじめまして。今回寄稿の機会を頂き、大変光栄な気持ちです。この記事では、ポーランドでの留学生活、そして留学中に経験した、ウクライナ難民支援活動について共有させて頂きます。この記事が、皆さんにとって新たな発見や気づきとなることができれば大変幸いです。
ポーランドって、どんなところ?
皆さんはポーランドと聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。クラシック音楽が好きな方は、作曲家のフレデリック・ショパンを思い出されるかもしれません。ショパンは、ポーランドの首都ワルシャワで生まれました。2021年に、ワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールで、2人の日本人ピアニストが入賞したことは話題になりました。また、キュリー夫人の名で知られる物理学者のマリー・キュリー、1981年に上智大学に来訪された聖ヨハネ・パウロ2世教皇(第264代ローマ教皇)、地動説を唱えた天文学者ニコラス・コペルニクスも、実はポーランド出身なのです。
さて、地理に着目すると、ポーランドはヨーロッパ中央に位置しており、ベラルーシ、ウクライナ、ドイツ、チェコなどと隣り合っています。公用語はポーランド語ですが、若者は英語を話します。伝統料理の1つに、ピエロギという餃子のようなものがあります。具の種類は沢山あるのですが、ほうれん草、チーズ、ジャガイモ、鮭などがあります。ジャガイモとチーズが入っている「ロシア風」が最も主流です。他にも、ブルーベリーなどフルーツバージョンもあります。
クラクフへ留学!
私は、クラクフで約1年間の留学生活を過ごしました。クラクフはポーランドの南部に位置しており、14〜17世紀までの間ポーランドの首都として栄えました。旧市街全体が世界文化遺産に登録されており、日本では「ポーランドの京都」と呼ばれています。クラクフには、映画「シンドラーのリスト」に登場する工場(ドイツ人のシンドラーがユダヤ人を雇い収容所への移送を阻止した金属製品工場)、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「白貂を抱く貴婦人」を所蔵する美術館や日本美術技術博物館、旧ユダヤ人地区のカジミェシュ地区などがあります。また、近隣のオシフィエンチム市には、アウシュビッツ=ビルケナウがあります。
留学先のヤギェウォ大学には、世界各国から学生が留学に来ており、国際色豊かです。日本語学科もあります。上述した、天文学者のコペルニクス、ローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が学んだ大学として有名です。
ロシアのウクライナ軍事侵攻で変化した日常
留学前、ポーランドに留学をすると言うと、「ポーランド?ポルトガル?」というように混同される方もいました。しかし、ロシアのウクライナ軍事侵攻発生後、ポーランドについて見聞きする機会が増えた方も多いのではないでしょうか。ウクライナ難民を受け入れる隣国として、世界から注目を浴びるようになったのです。
軍事侵攻発生後、ポーランドの各地でウクライナ難民支援の様子が見られました。私が住んでいたクラクフでは、難民への物資を寄付する場所が設けられました。私も新品のトイレットペーパーや消毒液、タオル、日本から持参したカイロを持って行ってみると、沢山の人々がペットボトルの水やトイレットペーパーなどを抱えて寄付に訪れていました。ガールスカウトの子どもたちが活動している様子が印象的でした。街中にはウクライナ国旗が飾られ、列車の駅には難民に対して無料でSIMカードを配布する場所が設けられていました。また、駅の壁は、支援団体の連絡先や人身売買に関する注意換気が書かれたポスターで埋め尽くされていました。とても感心したのは、バス車内での取り組みです。車内のモニターに、ウクライナ語とポーランド語で、日常で使う単語が表示されているのですが、乗車中にそれぞれの言語を学べるような仕組みになっているのです。ポーランド人がウクライナ人と接する時のコミュニケーションの手助けになるだろうと感じました。中央広場では毎日反戦の抗議が行われていました。小さい子どもを連れてデモに参加される方がおり、母親や父親が訴えている様子を、子どもが座って見ている様子が見られました。そして、私が住んでいた学生寮にも難民の方が避難されてきて、難民の方の存在が身近になりました。
学生寮にはウクライナ人の学生が沢山住んでいましたが、夜になると廊下の一角で、ウクライナ人学生が集まって話している様子をよく見かけました。後に、その話し合いでは家族の安否確認や情報共有などを行なっていたと知りました。また、飛行機の音などに過敏に反応し、精神的にトラウマを負っている友人が沢山いると話してくれました。
私には、留学先大学の日本語学科で学ぶウクライナ人の友人がいました。彼は「ウクライナにいる家族や友人は戦っているのに、自分はポーランドにいる」と語っていました。「自分も兵士として戦うかもしれない」という言葉を聞いた時は、身近な人が戦争にいくかもしれないという状況を初めて経験し、その友人の事を思うと大変悲しく涙が出ました。結果的に、彼は、ポーランドに避難してきたウクライナ難民にポーランド語を教える活動を行い、また学んでいる日本語を活かして、国境付近で日本メディアの取材に通訳として同行するなど、今いる環境でできることを見つけて取り組んでいました。同じ頃、日本でも多額の寄付金が集められるなど、多くの人々が行動を起こしていることを知りました。その様子に刺激を受け、今ウクライナに最も近い場所にいる自分ができることは何かと考え、私自身も支援活動に取り組みたいと考えました。
はじめに地域のボランティア活動に登録してみましたが、ポーランド語やウクライナ語を話せないことから活動に呼んで頂けませんでした。自分ができることを考えた結果、ポーランドの様子を日本の友人にシェアする活動を始めました。インタビューした動画を自らのSNSに掲載し現地の情報を発信していました。インタビューでは、ウクライナ人学生や、物資調達の活動をしている友人、そのほかポーランド人の学生に、それぞれの活動やロシアの軍事侵攻に対する考え、日本にいる人々ができることについて質問をしました。
その後、クラクフ市文化センターによって運営されている配給所で、週に1回ほどボランティア活動をするようになりました。毎日9:00〜18:00の間に、ウクライナ難民の方が物資を受け取りに来られます。配給所では、食料、赤ちゃん用品、子どもの玩具、洗剤、シャンプー、ティッシュなどを難民の方に提供していました。私の仕事は、既製品を一度開封して、中身を二、三等分にする作業でした。そうすることで、より多くの人に物資が行き渡るからです。また、配給所には、1日に数回大きなトラックや自家用車がやってきました。市民がクラウドファンディングや寄付金を利用して物資を大量購入し、配給所に寄付していました。届いた物資を建物の中に運び、整理するという作業も行いました。配給所で物資を受け取るシステムについて、一緒に活動していたスペイン人の友人が「まるで共産主義時代みたいだね」と言っていたことから、共産主義時代のポーランドではこのような光景が当たり前だったのかなと思いました。また、ボランティア参加者に対する支援が充実している点には大変驚きました。ボランティア活動をした人は、配給所の前にある食堂にて無料で食事をすることができました。街の人々がウクライナ難民の方だけでなく、ボランティア活動に従事する人々も応援している点に驚きました。
そのほか、NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンのユースメンバーであることを活かして、ポーランドのウクライナ難民支援について紹介するオンラインイベントを開催しました。小学生から社会人の方まで15名の方に参加頂きました。イベントでは、ポーランドで実施されているウクライナ難民について、動画や写真を用いて紹介させて頂きました。物資支援やデモだけでなく、バスの車内や駅など、日常生活の様々な場面で難民支援が垣間見られることをお伝えしました。また、参加者と共に「今自分にできること」について話し合いました。「お金を寄付する」「学校でイベントを開催して、問題について知ってもらい寄付を募る」など様々なアイデアが共有されました。ポーランドにいることを活かして、現地の情報を日本の皆さんに共有できたことは大変意義があったと感じています。
また、自らがボランティア活動をしていた配給所の運営元の団体とフリー・ザ・チルドレン・ジャパンを繋げ、日本からの寄付金を受け取って頂ける仕組み作りのお手伝いもさせて頂きました。
なぜポーランド人はウクライナ人を助けるのか
ポーランド人の友人のお父さんが「ポーランドもソ連に支配されていたから、ウクライナの気持ちがわかる。だから助けたいんだ」と話していました。ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアによる3度の国土分割を経験し、123年間世界地図から姿を消してしまった歴史があります。その後もナチス・ドイツとソ連による分割を経験し、第二次世界大戦後の45年間共産主義体制にありました。なるほど、他国に支配された歴史があるから、ウクライナ難民を助けているのだと思いました。しかし、このお父さんのような考えを持つ人もいれば、ポーランド人とウクライナ人の間で起きた虐殺などの悲しい歴史から、ウクライナ難民受け入れに積極的ではないポーランド人もいるそうです。それでも多くの人々が支援に取り組む理由の1つに、カトリックが大きく関係していると私は考えます。ポーランドは人口の約9割がカトリック信者です。教会は、市民に対してウクライナ難民受け入れの準備をするようにと呼びかけていました。また、教会やカトリック系の市民団体が子どもや女性を支援する様子を目にしました。隣人としてウクライナ難民を受け入れ、支援することは、結果的にカトリックの教えを実践することにも繋がっていたのではないかと考えます。
現在、上智大学でもウクライナからの留学生を受け入れています。カトリックの大学である上智大学がウクライナの学生に門戸を開き、学びの場を保証したことは、上智生として大変嬉しいです。今回をきっかけに、学習の機会が失われている国内外の学生に対して、上智大学がよりオープンになってほしいと思っています。そして、私はポーランドでの経験を踏まえて、今後も自分ができることを見つけて実践していきたいです。
担当者memo
周囲の方々の様子を敏感に感じ取り、いろいろなことに心が動かされ、一歩一歩活動を始められた石田さんはとても立派でした。他者の声に耳を傾けて、気持ちに寄り添って行動してみること。留学を通して、大学での学びの他にとても貴重な経験を得たようです。
「上智のいまを発見」では学生の活躍、耳寄り情報、先生によるコラム、先輩紹介など、大学の中と外でおきているあれこれを特集しています。取り上げてほしい人や話題など、みなさんからの情報も募集中。情報提供は findsophia-co(at)sophia.ac.jpまで。記事形式、ビデオ、写真、アイディアなど形式は問いません。どうぞ自由な発想でお送りください。*残念ながらすべての応募情報にお答えすることはできません。採用させていただく場合のみご連絡をいたします。
それでは次回の発見もお楽しみに。
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2023.12.11