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上智のいまを発見

中井真之
学生時代の思い出

2023.08.08

大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第10回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、河﨑健先生(ドイツ語学科)からのご紹介、中井真之先生(ドイツ文学科)です!

河﨑先生との出会い

外国語学部ドイツ語学科の河﨑健先生にご紹介いただいた文学部ドイツ文学科の中井真之です。河﨑先生にお会いしたのは、私が1990年代末に上智大学のドイツ語非常勤講師になったとき、先生が一般外国語センター(現在の言語教育研究センターの前身)のドイツ語教員の幹事を務められていたことがきっかけでした。コミュニケーション中心の授業への転換を進める一般外国語センターと、その転換に戸惑い不満を抱くこともあったドイツ語教員の間に立って苦労されていた先生には当時本当にお世話になりました。同じドイツ語を専門言語とする学科に所属していることもあり、その後も折に触れて言葉を交わさせていただいています。

バドミントン三昧

学生時代ですが、私は体育会バドミントン部に所属しており、そこでの部活動を中心に私の生活は動いていました。授業期間中は、火・木・金・土の午後の3~4時間ほど(土曜以外はお昼休みも)義務練習がありましたが、幸い授業の時間割がこれらの曜日・時間と重ならなかったため、私は練習にはすべて参加することができました。義務練習のない曜日も筋トレや迎賓館・皇居一周のランニングなど、日曜日以外はだいたいトレーニングに励んでいたように思います。夏休み・春休み期間中の大半も強化練習というものがあり、大学に来て部活動をしていました。バドミントンは空調をつけると羽根が流れてしまうので、空調をつけられず、夏は体育館内がものすごい温度となります。またコート内を駆け回るため、見かけによらずハードなスポーツです。今思うとよく続けられたと思いますが、練習は辛くても、やはり他の部員と切磋琢磨して少しずつ自分のバドミントンのレベルを上げていくことに充実感を感じていたのだと思います。

左から2番目が筆者。3年次の夏の強化練習の前に、同期の部員とアメリカ人留学生の部員の案内で1週間ほどアメリカ旅行をしたときのものです。撮影場所はラス・ベガスです。

バドミントン部の絆と成長

体育会ですので、他のサークルよりは先輩・後輩の上下関係があったと思いますが、それが辛いと感じられるケースはむしろ少なく、部活動の枠内で後輩と先輩の間に適度に頼る・頼られるといった関係が生まれ、また同期の部員の間のつながりが強くなり、人間関係は比較的うまく行っていたように思います。特に自分が上の学年になるにつれ、部内での責任も増していき、先輩としての自覚をもって行動するようになり、いい意味での緊張感をもって部活動に携わることができました。

私以外の同学年の男子部員は皆、バドミントンの経験者で練習熱心な者が多く、それぞれがメキメキとレベルを上げていったこと、そして当時主将であった方が非常にうまく部を運営されたこともあり、私が3年生だった年の関東大学バドミントン春季リーグ戦で、上智大学は4部から3部に昇格することができました(全部で6部まであったと思います)。そのリーグ戦後、今度は私たちの学年が幹部学年となり、私は部の事務的なこと一般に責任をもつ主務の役職を務めることになりました。私たちが幹部学年となった当初は、目的意識もそれほど明確でなく、ともかく部の運営に必要な仕事をこなすといった感じで、私自身も夏の合宿の日程を組む際に少し失敗をしてしまいました。合宿が明けた後に開催された秋季リーグ戦では、皆、地に足がついていないような状態で、たまたま同じグループに全試合に欠場して不戦敗となった大学があったため、何とか3部に残留することができたような次第でした。この苦い経験の後、春の強化練習の前だったと思いますが、幹部学年で集まり、十分に検討した上で、次の春季リーグ戦で3部優勝をするという目標を立てて、部の運営に取り組むことにしました。私たちの一つ下の学年にもバドミントン経験者で練習熱心で有望な人が多く、当時は3複4単(3つのダブルスと4つのシングルス)の試合の結果で勝敗が決まりましたので、飛びぬけて強い者はいないが、3部の中では比較的上位の実力者が揃っていた私たちのチームならば優勝の可能性は十分にあると考えたのです。そして、十二分に準備をして臨んだ春季リーグ戦では、順調に勝ちを重ねていきましたが、試合中に一人の部員が負傷し、それ以後の試合は出場できなくなるというアクシデントもあり、あと一歩というところで優勝は叶わず、結果は2位にとどまりました。が、与えられた状況の中で皆で最善のことをやり尽くしたという自覚がありましたので、ほとんど悔いは残らず満足感の方が強かったことを覚えています。

生涯の友

春季リーグ戦後は現役を引退し、勉学の方に生活の中心を移しました。ドイツ文学での卒業論文の執筆という課題があり、また大学院への進学も考え始めたからです。バドミントン部での活動は1年次の4月から4年次の5月中旬まで続けましたが、部という団体の中でバドミントンというスポーツに熱中できたことは、色あせることのない良い思い出として私の心に残っています。そして、卒業からすでに30年以上経っていますが、当時の部員たちは今でも親しい友人です。コロナ禍で連絡が途絶えていたのですが、今回このコラムを執筆するにあたって連絡を取ったところ、すぐに返信が届き、また一緒に飲みに行くことを約束しました。

左端が筆者

次回の「先生コラム」は、文学部哲学科の長町裕司先生にお願いしました。長町先生を中心にして18世紀ドイツ哲学者のドイツ語テクストを読む読書会が定期的に開催されており、これに私も参加させていただいております。人間味にあふれたイエズス会の神父様でもあられ、様々な面でいつも大変お世話になっています。長町先生、どうかよろしくお願いいたします。

次回は……

中井先生から長町裕司先生(哲学科)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。