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上智学生記者クラブ通信

#201 キャンパスマップに載っていない5号館の、知られざる歴史を探る

2022.07.08

初めまして! 新人記者として初めて記事を担当します、のぶゆきです。どうぞよろしくお願いします。
さて、私が上智に入学してから早くも2か月が経ちました。憧れのキャンパスライフにもそろそろ慣れてきたな、なんて思いながらも、まだまだ気を抜くと行く教室を間違えてしまいそうになります。特に11号館7階で行われる授業ともなると、遅れてしまわないか毎回ヒヤヒヤです(笑)。

ところで、上智大学四谷キャンパスには本当に色々な建物がありますよね。〇号館と名前が付いているものから紀尾井坂ビル、ホフマン・ホールまで、それぞれの役割を与えられてキャンパスに建っています。今回の記事では、その中のとある建物に注目します。まだキャンパスについてよく知らない新入生の私と、建物の不思議な歴史を探ってみませんか?

「5号館」という建物、見たことありますか??

タイトルにある通り、この記事のテーマは「5号館」です。ですが、そもそも5号館という建物を見たことがある方自体、そうそういらっしゃらないのではないでしょうか?
ここで、大学のホームページなどに載っているキャンパスマップを見てみてください。何かおかしな所に気が付きませんか? 地図の下の、建物の名前が一覧になっている所に注目です。①1号館、②2号館、③3号館、④4号館と来ているので、その次は当然⑤5号館と表示されているはず。しかし、次に来ているのはなんと⑥6号館。本来「5号館」があるべき場所がすっかり飛ばされてしまっています。とても不思議ですよね。

2022年度キャンパスマップ。出来たばかりの15号館も掲載されています(画像提供 広報グループ)。

実は、現在このような不思議なマップになっていますが、昔は5号館という建物もちゃんと存在していたんです。昔といってもほんの数十年前のことなのですが、筆者である私は生まれてすらいない時期なので、なかなか実感をもちづらい所があります。それでは、5号館があった時代まで遡ってみましょう!

5号館の誕生

時は1900年代後半、空襲によって焼失した旧校舎に代わる新たな校舎の建設が次々と進んでいました。そんな中、今回取り上げる5号館の着工は1967年、場所は現在の中央図書館・総合研究棟(以後、中央図書館)がある所でした。
建設の目的は、当時あったクラブハウス村に代わってクラブ活動の部室などを整備することだったのですが、ここで少し当時のキャンパスの状況に目を向けてみます。上智大学は、米軍から払い下げられたカマボコ型の兵舎を活用し、戦後の学生向けの寮を1948年に開設しました。この寮は、開設に大きな貢献をした寮監のフランツ・ボッシュ神父にちなんで「ボッシュ・タウン」と呼ばれていたそうです。

ボッシュ・タウン(写真提供 ソフィア・アーカイブズ)

そして、こうして出来た学生寮が次第に課外活動の場(クラブハウス村)として利用されるようになり、多くの部室が集まる拠点となりました。

このように学生の生活を支えていたボッシュ・タウンですが、1960年代頃になると、現在の6・7・8号館を建設するための土地確保の施策として、取り壊しが検討され始めます。そしてその代替部屋が、まさしく5号館でした。5号館は、課外活動の拠点という役割を引き継ぐために誕生したのです。
また、5号館は部室の他にも研究室やカウンセラー室を備えており、多機能な施設だったことがうかがえます。

ここで、5号館の外観写真2枚を掲載します。2枚目の写真を見てみると、5号館の奥の方にはホテルニューオータニらしき大きな建物も写っています。皆さん、メインストリートに佇む5号館の姿が、イメージ出来ましたか?

5号館。1枚目はメインストリートの奥側(現在紀尾井坂ビルなどがある側)、2枚目は手前側(北門側)からの撮影です(写真提供 ソフィア・アーカイブズ)。

さあ、5号館がどういう建物だったのか、段々と分かってきましたね。ここで、「あれ? 部室がある場所って今は……」と思ったあなた、お見事です。続いては、5号館の役割がどう受け継がれていったのかを見てみましょう!

ホフマン・ホールが後を継ぐ

合わせて70個以上の部室を有し、学生の課外活動の拠点となっていた5号館。今は地図から無くなってしまっていますが、その役割はどこに移されたのでしょうか。その答えは、部室をもつ部活・サークルに所属している方なら簡単に思いつくかもしれませんね。そうです。キャンパスの最奥部に位置する「ホフマン・ホール」が、立派にその役目を引き継いでいます。では、なぜまたもや部室の移転を行ったのでしょうか? この疑問には、先程少し触れた中央図書館が関わってきます。

1970年代、大学の一大事業として新しく中央図書館を建設する計画が進んでおり、その建築用地が検討されていました。また、当時の5号館は暖房設備を備えておらず、加えて学生数が増えた影響で手狭になりつつある状態でした。それなら、時代に合わせて設備をアップデートした施設を別の場所に作り直し、5号館の場所に中央図書館を建ててしまおう、という運びになり、学生との調整が進められたそうです。

ホフマン・ホール(筆者撮影)

こうして、今も学生たちを支え続けているホフマン・ホールの誕生が決まり、1980年に完成を見ました。その建設には、世界中のイエズス会の拠点から寄付が集まったようです。また、5号館が抱えていた課題である暖房設備についても、太陽光をエネルギー源に動くソーラーシステムが導入され、利便性の向上だけでなく環境問題研究にも活かされる、最新の施設に生まれ変わりました。
ホフマン・ホールにはたくさんの部室に加え、学生の健康を見守るウェルネスセンター(健康支援)やトレーニングルーム、ハラルカフェまで集約されており、まさにキャンパスライフの第二の拠点と言ってもいいのではないでしょうか!

図書館の昔と今

ここで少しだけ寄り道をして、図書館の歴史についてざっとまとめます。もし興味があれば、もっと詳しく調べてみることをお勧めします!
なんと図書館も、これまでに2回場所を変えています。上智最初の図書館は、現存する最古の校舎である1号館の教室を5つ、間借りする形で戦前から存在しました。

そして時は経ち1952年、単独の施設としての図書館が、今の2号館の位置に完成しました。同じ敷地には、法学部の校舎(法学館)もあったようです。旧図書館の閲覧室の写真を下に掲載しますが、現在の図書館にある数種類の閲覧室も含め、皆さんはどのタイプが一番好みですか?

旧図書館閲覧室。天井が高く、今とは違った居心地の良さがあるかもしれません(写真提供 ソフィア・アーカイブズ)。

それから学生の数も増えてもっと大きな図書館が必要になり、1983年に現在の中央図書館が竣工を迎えます。

現在の中央図書館(筆者撮影)。

現在の中央図書館は、地下2階から地上9階という大きな空間に本棚や閲覧室はもちろん、各研究所の研究室やラーニング・コモンズといった、学びに関する多くの機能が集約された建物になっています。かく言う私も、図書館の居心地の良さにすっかり心を奪われている所です(笑)。

おわりに

いかがでしたか? この記事では、5号館が無いキャンパスマップの謎から出発し、課外活動の拠点となる建物に注目してその変遷を探りました。2回も場所と名前を変えていたことが分かりましたね。そのようなキャンパス内の建物の変化は、記事に登場したものの他にも本当にたくさんあります。
最近の話題では、昨年から進められていた15号館の建設が6月に終わり、6号館の東側に新たな木造3階建ての施設が誕生しましたね。

上智大学は、来年で創立110年を迎えます。時代と共に大学の組織や通う学生のあり方が変わっていくなら、キャンパスだって変化して当然です。数え切れないほど足を運ぶこのキャンパスも、私たち人間と同じように変化していく存在だと思えば、少し愛着が湧いてきませんか??

1967年頃撮影のキャンパス。5号館もしっかり写っています(写真提供 ソフィア・アーカイブズ)。
キャンパスの現在の形(写真提供 総務局広報グループ)。

上の2枚の航空写真は、5号館があった当時に撮られたものと、現在の建物の構成になってから撮られたものになります(15号館は流石に反映されていませんが)。この記事に出てきた事柄を思い出しながら、見比べてみると面白いかもしれません。
ちなみに、1枚目の航空写真から5号館は見つけられましたか?? キャンパスの奥の方を見ていくと白い建物が多く目に入りますが、一番奥の、周りと比べて少し背が低い建物が5号館です。航空写真で見ると、メインストリート以外の3方向を森に囲まれているようにも見えますね。

今回の取材を通して、私自身まだまだ知らないことが多すぎると感じました。日々の生活の中でキャンパスのもっと色々な所に足を運び、今しか見られない上智の姿を追いかけてみようと思います!

<補足>
この記事を書くにあたり、以下の資料を参考にすると共に、広報グループとソフィア・アーカイブズからも多数の資料のご提供を受けました。この場を借りてお礼を申し上げます。
『上智大学史資料集』第四集・第五集
『上智の100年』

のぶゆき
名前
のぶゆき
所属
外国語学部イスパニア語学科
〇〇がすき!
J-POPと活字がすき。
上智のいいところ
語学への強さとキャンパスの立地!