8月に初のオンライン開催となった「飯舘村交流事業」については、既にこれまでのトピックで詳しくご紹介させていただきましたが、9月からはその後半戦ということで、8月と同じ上智大生のメンバーが、月に1回(30分程度)、飯舘村の中学生へ学習アドバイスを行う活動をスタートしています。
この後半のプログラム初回となった9月8日に、飯舘村教育委員会教育課指導主事の佐藤育男様より『東日本大震災後10年間における飯舘村と学校のあゆみ』というタイトルで、交流事業に参加している上智大生にお話をしていただきました。
佐藤さんは東日本大震災が発生した10年前、飯舘村の小学校で教鞭をとられていました。その頃の教え子だった小学生が、まさにこの交流に参加している上智大生と同世代ということで、「あの震災当時に担任していた小学生と同世代の人たちが、今、大学で学んでいて、そのような人たちの前で話をすることは貴重な経験だと感じている」とおっしゃっていました。
飯舘村と上智大生との交流は2014年度に開始しましたが、当時上智大生が宿泊していた飯野町の旅館の息子さんが佐藤さんのクラスの児童だったそうで、そのお子さんが夏休みの一行日記に、上智大生と遊んだり勉強を教えてもらったりしたことを書いていたというエピソードもお話しくださいました。
大震災が発生した後、飯舘村の被害自体はそれほど大きくはなく、水道も早めに使えるようになったくらいだったそうですが、原発事故の影響で2011年5月に「全村避難」となり、村民は仕事や学校など様々な事情を抱えながら周辺の町や村への避難を余儀なくされ、多くの家族が“分断”してしまいました。当時のニュースや震災数年後のインタビュー映像・写真などを織り交ぜながら、10年経った現在の村の課題も共有してくださり、震災後からの村のあゆみ・学校のあゆみを詳しく知ることができました。
今、飯舘村の学校に通う子どもたちは、大震災の時に幼かった・生まれていなかった世代です。そのような震災の記憶がない・震災を知らない世代の子どもたちに対して、どうすれば村民としてのアイデンティティを確立できるのかを考えて生み出された「いいたて学」(ふるさと学習)についても紹介くださり、飯舘村の皆さんが、いかに子どもたち世代を大切に想っているのかを深く感じることができました。
佐藤さんはさすが元教師! と思わせる語りで、この10年間の飯舘村と学校が歩んできた道のりを分かりやすく解説してくださり、参加した上智大生は熱心に耳を傾けていました。
【講義に参加した上智大生の感想より】
震災による放射能被害は村の人々に大きな影響を与えてきたことを改めて実感しました。今回このボランティアに参加させていただいていることもあり、復興と教育の関わりについて、特に深く考えさせられました。これからを担う若者(子供)たちの故郷としての飯舘を守り、子供たち自身が前に進むことを支えるという面で、「教育」が重要な役割を果たしているのだなと感じました。(国際教養学科1年 笠原莉子)
「主な避難先と避難者数の推移」についてお話しされた際、多くの生徒が飯舘村の外から学校に通われていることを初めて知りました。「いいたて学」のお話でも合ったように、飯舘村の外で普段暮らしている生徒さんにとって「ふるさと」とは何処なのか、飯舘村が生徒さんにとってどのような場所なのか、ということについて考えさせられました。これらを踏まえて、上智学生との交流が飯舘村の学校での思い出の一つとして生徒さんの記憶に残れば良いなと思いました。(国際教養学科3年 松村美佑)
関連ページ
2024.04.08
2024.04.08