心を向けるということ
2022.06.17
心を向けるということ
2022.06.17
こんにちは! 先日ようやく長い長い夏が終わったと思いきや、最近は日に日に寒さが増して衣替えが間に合わないゆうです。この記事が投稿される本日、11月1日は上智大学の創立記念日です。そして今年はなんと上智大学創立111周年! なにか運命めいたものを感じますね……。
なので今回の記事では、上智大学の創立記念日に際して、上智の長い歴史を創立から11年、22年……などのゾロ目の年をピックアップしてざっと振り返っていきたいと思います! ぜひ創立から現在の上智に至るまでの、少し長い旅にお付き合いください。それでは見ていきましょう!
この年、上智大学は「専門学校令」によって4月1日に開校しました。当時は哲学科・独逸文学科・商科からなる本科3年と、学部に進学する前の予科2年の計5年の編成でした。また社会人向けの学科「独英夜学科」も開かれていました。当時の学生募集は新聞で行われており、4月時点では15名程度しか学生がいなかったそうです! 今の上智からは考えられませんね……。
下の写真にある赤レンガ校舎は、翌年の1914年にヤン・レッツェル氏によって竣工されました。
前年の関東大震災により、上智大学も例に漏れず大打撃を受けた直後の年でした。創立当初からある赤レンガ校舎も半壊しましたが、この赤レンガ校舎の損傷を1人のドイツ人神父が知ったことをきっかけに、後の1号館の建設に繋がることになります。こちらに関しては後ほどもう少し詳しく解説します。
この年は主に2つの部活動による活躍が垣間見える年でした!
前年の1934年に課外活動団体である自動車部が日米学生親善のため渡米し、ジョージタウン大学を表敬訪問しました。これがきっかけとなり、ジョージタウン大学の学長が訪日の際に上智を訪れ、1935年から海外留学制度がスタートしました。現在上智は国際色豊かな大学として有名ですが、自動車部はその立役者と言えるかもしれませんね!
山岳部はこの年、長野県の北八ヶ岳連峰中腹に、「八ヶ岳ヒュッテ」というヨーロッパ式のログハウスを建設しました。このログハウスは日本最古のログハウスの一つと言われており、現在も1泊1,300円で利用できるそうです! 興味のある方はぜひ下記のリンクからご確認ください。
八ヶ岳ヒュッテ|上智大学 ウェブピロティ (sophia.ac.jp)
またこの年は、上智大学設立者の一人であるヨゼフ・ダールマン師没後5周年の追悼を機に、先人の功績を讃える先哲祭が大学主催で開催されました。
前年の1945年に東京空襲により、赤レンガの旧校舎や四ツ谷駅近隣の家屋一帯が全焼し、焼け野原になってしまいました。
その後1946年に、上智大学が焦土化した麹町6丁目の土地7,300坪(約24,000m²)を購入し、後に大学の図書館や法学部校舎を含むいくつかの施設を建てていきます。
またこの年に開催された上智大学の公開講義が新聞上で注目を集め、国際部へと発展し、この講義は全て英語で行われました。この国際部が形を変え、後の比較文化学部、現在の国際教養学部になります。
この年、初めて上智は女子学生の受け入れを開始しました。最初は白百合短期大学からの編入生でしたが、翌年からは1年次からの入学も開始しました。後に大学はキャンパス内に女子学生相談室を設置し、信濃町に女子寮を建設して、徐々に女子学生のための施設を整えていきました。
またこの年から法学部法律学科が設立され、翌年から神学部と外国語学部が増設されました。今でこそ上智は、女子学生比率の高い大学、また語学に強い大学として知られていますが、この年はその上智の輪郭をつくり始めた年と言えますね!
この年、全国で大学紛争が起こりました。これは大学の学費の値上げや、大学側の非民主的な管理・運営などによって徐々に学生らが不満を募らせていったことに起因すると言われています。
上智ではこの年の6月、盗難事件の捜査のために警察が構内に入ったことをきっかけに、全学共闘会議、通称「全共闘」の学生が抗議を開始し、7月2日に1号館を占領しました。その後上智は、教職員への暴行に関係する学生13名を処分し、それに抗議する学生により11月には1・3・4号館にバリケードが築かれました。大学側の働きかけもむなしく勢いは増すばかりであったので、上智は12月、機動隊に出動を要請し、大学は以降6ヶ月間閉鎖しました。
これらの一連の流れの結果、学長が学生に送り始めた学内の動きを伝える手紙が形を変え、「上智大学通信」が誕生しました。
この年は、1975年のベトナム戦争により生じた難民に対して、上智大学が母体となって援助活動を行いました。当時のヨゼフ・ピタウ学長を筆頭に、学内外で募金活動を行い、そこで得た資金をタイの難民の学校の建設資金に充てるなど、「他者のために、他者とともに」を体現したこれらの活動は、現在の課外活動団体「めぐこ」やアジア文化研究所、現グローバル・コンサーン研究所の前身である社会正義研究所の活動などに引き継がれました。
特に大きな出来事はありませんでしたが、上智の図書館でお世話になることの多いOPACの試験運用が始まったのがこの年でした。ゆうも学部の実験レポートの資料を探す際に度々使わせていただいてます!
また、2年後の9月には大学内にオフィスビルである紀尾井坂ビルが施工されました。近年、大学とオフィスが共存するサテライトキャンパスが増えてきていますが、上智もその例外ではないようです。上智は少しずつ時代に合わせて形を変えていっていますね。
この年の1月、上智学院理事会は2013年の上智創立100周年を見据えて将来の基本構想「グランドレイアウト」を発表しました! これは上智の今後の発展の方向性を示したもので、主に上智の優位性・国際的評価・施設の充実の3つを目指し、また大学運営の効率化や財政基盤の強化も目標に含まれています。この目標に即して、2005年に様々な設備が整えられた2号館が建てられました。
2009年に上智大学は、文部科学省により「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の拠点大学の一つとして選ばれました! それを受け、2012年上智は国際性を高めるために、理工学部に2つの英語コースを開設、外国語学部にグローバル教育センターを設置、ルクセンブルク大学内に、ヨーロッパでの広報活動の拠点となる上智のオフィスを構えるなど、非常に多くのアクションを起こした年になりました。
昨年上智大学は創立110周年を記念して、キャンパス内から約200個もの風船を一斉に飛ばす「バルーンリリースセレモニー」を開催しました。ゆうも当日セレモニーを見ており、当日は快晴だったので、カラフルな風船に空の青が映えて圧巻でした! 当時の様子や、セレモニー開催のきっかけについての記事もあるので、気になる方はぜひ下のリンクから飛んでみてください!
そして111周年を迎えた今年には、上智と最も長く歴史を共にしている1号館が、6月付けで「東京都選定歴史的建造物」に指定されました! 1923年の関東大震災により、赤レンガ校舎が半壊しました。この出来事がきっかけとなり、ドイツ人のブルーノ・ピッテル神父による「レンガ募金」や当時のローマ教皇ピオ11世の支援により1号館は1932年に建設することができました。
つまり1号館は、創立当初からあった赤レンガ校舎の因子を受け継いでいるとも言えるわけですね。上智の歴史を象徴するのに最もふさわしい建物といえるのではないでしょうか! ここまで上智の歴史を振り返ってきましたが、いかがでしたか。1913年から少しずつ進化を続けながら、今の上智が形作られてきた様子が、鮮明に感じられたのではないでしょうか。
今回は上智創立から11年ごとに出来事をピックアップしましたが、それでもこれだけ濃密な出来事が浮かび上がってきたことに非常に驚きました! ぜひこの記事を見た後に、歴史を感じながら上智の中や周辺を歩いてみてください。きっと見えてくる景色も、いつもと少し変わってくるような気がします。
今回の記事も最後まで見てくださりありがとうございました!
またお会いできる日を楽しみにしています。それでは!
※本記事の画像は全てソフィア・アーカイブズ提供
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