大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」 の第2回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、福武慎太郎先生(総合グローバル学科)からのご紹介、荻野弘之先生(哲学科)です!
アルマ・マーテル・セクンダ・ソフィア
武蔵中・高を出て東大文三(文学部進学コース)に入学した1976年当時、駒場キャンパスにはまだ学園紛争の余燼が燻っていた。朝方、何台もの警察車両が来て何事かと訊ねたら「昨夜駒場寮で内ゲバあり、革マル派の学生が二人重傷」という事件もあった。土曜の午後には「造反教官」有志による「自主講座」も盛んだった。少なからぬつまらない授業には出ないかわりに、同級生で色々な読書会を企画した。古典語は、先生よりは先輩に教わった方が多い。勉強は自分でやるものだと思っていた。78年に本郷(文学部哲学科)に進学すると「百年記念募金反対運動」の学生が「団体交渉」を要求して紛糾。文学部長室を占拠した挙句、失火事件に発展し、毎週水曜は自治会の集会とストライキで、殺伐とした混乱が続いていた。
わが古代哲学の恩師の一人・加藤信朗先生(当時は都立大学助教授)が「東大ではダメだ、授業ができない」というので、やはり非常勤で出講されていた上智の教室を借りることになった。東大の授業(アリストテレス『分析論』の演習)を上智の教室でやり、慶応や都立の院生も出席するという奇妙な光景。だが、所属大学の壁を超えた親密さと熱気に満ちていた。変則だが、案外これが大学の発足当初の姿かもしれない。学問の豊かさは制度化されない余剰のうちにある。
東大には中世哲学の授業がほとんどなく、図書も分散していたので、リーゼンフーバー所長のご紹介で旧二号館にあった中世思想研究所(田畑邦治助手、現在は北海道にある天使大学学長)に出入りさせてもらった。キリスト教文化研究所(事務の岡田多恵子さん)にもお世話になった。モーツァルトの宗教性(ネメシェギ)、典礼の美学(野村良雄)、旧約聖書の文学性(アロンゾ=シェーケル)、宗教と文学(小川国夫)、毎秋の連続聖書講座などの講演会を通じて、カトリックの伝統にふれることができた。当時から上智には公開講座やキリスト教入門講座が沢山あって、学外からの参加者も少なくない。授業料は払わなかったが、「第二の母校」であることは間違いない。 こうした御縁もあって、1992年から文学部哲学科に着任した次第。なお家内は法学部法律学科、長女は文学部史学科の卒業で、両人とも口を揃えて「いい大学だった」と言っている。叱ってばかりいるようだが、一人でも多くの学生に、楽しい思い出を抱いて卒業してもらいたいと願っている。
次回は……
荻野先生から東郷公德先生(英語学科)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。