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上智のいまを発見

山﨑瑛莉
心の記憶を信じること – 学生時代の旅の経験から –

2022.10.21

大学の中と外で、いまおきているあれこれを紹介する「上智のいまを発見」。
普段の授業では知れない学生時代のエピソードなど綴っていただく「先生コラム」の第5回目をお送りします。先生コラムは教員から次の教員をご紹介いただくリレー形式でお届けします。
今回は、宮武昌史先生(機能創造理工学科)からのご紹介、山﨑瑛莉先生(グローバル教育センター)です!

宮武先生とご一緒している鉄道研究の調査@南アフリカ

宮武先生からのバトンをいただき、コラムを書かせていただきます。グローバル教育センター講師の山﨑瑛莉です。

学部生時代の活動

高校生のときに世界史が大好きになりました。脈々と繋がる人間の営みの歴史は、頭のなかで広がる壮大なスケールの物語で、旅をしているような感覚だったからです。でも、私は大学生になるまで海外渡航をしたことがなく、いつかあちこちに行ってみたいと思っていました。

学部生時代は国際協力サークルに所属し、2年生からは代表を務めました。同じ関心を持つ友人と共に、国際協力活動の関係者と多く出会い、バングラディシュ支援のボランティア活動をしたり国際協力関係の勉強会を開催したりと、実践者の活動に刺激を受けては自分たちでもあれこれやってみる、という活動をしていました。

やっぱり実際に行ってみたい! という思いも募り、初めて渡航したのは2年生の秋学期。インドネシアでのスタディツアーを自分たちで企画・実施し、現地NGOを立ち上げた方に助けていただきながら、ジャカルタとボゴールという街に滞在しました。ストリートチルドレンを支援する現地NGOの活動やODA支援現場を歩いたほか、当時広がっていた参加型開発のワークショップに参加したり、ボゴール大学の学生たちと交流したり、「今晩泊まる宿を自分たちで探そう」というフィールドワークをしたり、とずいぶん欲張っていました。

ただ、途中の大雨で道が冠水し、予定通りの移動ができなくなったり、ストリートチルドレンの物乞いに戸惑ったり、地域の難しい事情を実感する経験もありました。物事がうまく進まない、予定通りにいかない、というときに、状況を見ながら活動を進める……そんな姿を現地の方々から学び、心したことは大きな経験だったなと思います。

……今、大学の実践型プログラムで「アフリカに学ぶ」を担当させていただいていますが、渡航して学ぶプログラムは、学部生の時にまさに自分が行っていたことでした。なんだか感慨深くもなりますし、こういう活動が好きなんだな、と実感します。

好きなことから始まる

そうした国際協力サークルの活動でできた繋がりから、愛・地球博(2005年に開催された万国博覧会)でプロジェクトに参加する機会をいただきました。「アフリカをテーマにプロジェクトを立ち上げて実施する」ことがミッションでした。ここで立ち上げたのが「アフリカの叡智プロジェクト」です。これは、アフリカの方々と文化を通した楽しい出会いを経験することで、アフリカ地域をもっと身近に感じられるようにしよう、という目的で立ち上げたプロジェクトです。

アフリカ地域は、情報の偏りから、貧しい・怖いところ、とフィルターをかけてしまいがちです。でも、そのフィルター越しに初めてアフリカに触れるよりも、踊りだしたくなるようなリズムや鮮やかな民族衣装、不思議な音を含む地域の言葉などに触れ、楽しんだり驚いたりすることで、アフリカ地域の魅力に気づくことから、初めてアフリカに触れられる機会をつくりたい、という思いでした。

アフリカの叡智プロジェクト 民話朗読団の文化を楽しむ活動

日本に住むアフリカ地域出身の方々とアフリカ文化を伝える「民話朗読団」を結成し、全国の学校を巡る活動を行いました。民話には、地域の文化や智慧がたくさん詰まっています。この民話を、その地域の方に読んでいただいたり、音楽を合わせたりして聴くことで、その智慧に触れる機会にしました。さらに、民話を子どもたちが紙芝居にして、その民話の生まれ故郷である地域の子どもたちに送るという活動も行いました。例えば、ガーナ共和国出身の方と組み、その方の住む栃木県さくら市の学校と、ガーナの小学校とで交流する、といったような形です。プロジェクトでは、他にセネガル、南アフリカ、ルワンダ、ウガンダといった国々の方と共に活動を行いました。中には、総合的な学習の時間に取り入れてくださる学校もあり、とても充実した活動を経験することができました。

ちなみに、「叡智」といっても、この時にはまさか上智大学に来られるとは考えていなかったので、今となっては不思議なご縁を感じます。

アフリカの旅

学部時代、このような活動を通して近づいたアフリカ。それでも渡航はしていなかったアフリカ。アフリカ料理のレストランでアルバイトをしながら、南アフリカのワインをお勧めしたり、ガーナのフフを説明したり、マスターやお客さんからアフリカの話を聞いたりしながら、ぜひとも行ってみたいという思いは、3年生の頃から募らせていました。

その思いは大きくなり、大学最後の春季休暇2か月を丸々費やして、バックパッカーとしてアフリカの旅を、することにしました。両親はとにかく心配してくれていましたが、飛びたい気持ちがあまりにも募っていて、航空券を取りに行ったり、地図を見ながら行き先をあれこれ考えたり、と楽しい気持ちで準備を進めていました。期末試験が終わった直後、1月末に出発しました。

旅の光景

成田空港から発ち、まずドバイへ。アフリカ方面への乗り継ぎ便ラウンジの周辺で、雰囲気が一変したように思いました。アフリカ大陸に着陸したときの高揚感は忘れられません。アフリカ大陸での第一歩は、モロッコの地でした。ここから、大まかな旅程と気分で、旅が始まりました。

世界遺産となっているマラケシュの街並みやフナ広場の大道芸人たちの興を楽しみ、夜行バスでアトラス山脈を越え、オアシスで緑や水のありがたみを感じながら、サハラ砂漠へ。砂漠での夜は、月があまりにも眩いことに驚きました。同じサハラ砂漠に接するチュニジアでは、地中海沿岸に広がる古代ローマ文化の遺跡が興味深かったです。高校の世界史で学んだことを眼前にしたとき、その歴史の長さと遺跡として残っていることに圧倒されました。

やや時差ボケを感じながら旅したエチオピアは、サハラ以北とは全く異なる文化社会。アフリカ諸国の中でも特異な文化を持つ国で、空港に降り立った時からアムハラ語やアムハラ歴での時間表記があり、その違いを感じることができます。白いガーゼをまとってお祈りに行く数多の人々がどっしりとした教会の周りに集まる光景は、信仰について考えさせられるものでした。エチオピアの食に欠かせないインジェラ。酸味のあるクレープのような生地に、鶏肉や野菜等を煮込んだワットと呼ばれる様々な種類のソースをつけていただきます。これを日々食べられたことは幸せそのものでした。土地のものは、本当に美味しい。

お隣の国ケニアでは、首都ナイロビの経済的な発展の様子を目の当たりにして、成長過程にあるアフリカ諸国の勢いの一端を垣間見ました。翻ってタンザニアでは、内陸へと進み地方の小さな村へと向かいました。ここは唯一、ミッションのある目的地でした。協力隊員としてその村に住んでいた知人から頼まれ、「彼は元気にしているよ」ということを、家族写真と共に届ける、というミッションでした。都市ダルエスサラームから長距離バスで6時間、時々バオバブの木が見られる土道をボダボダ(バイク)に乗って数時間。やっと到着した村で、どこの誰かもよくわからないだろうに、片言の英語とスワヒリ語で大歓迎してくださったことと、トウモロコシ粉を練ってつくる主食のウガリや貴重なビーフジャーキーでもてなしてくださったことは、この旅一番の温かい時間でした。

最後の地ルワンダ。現地でNGOを立ち上げ活動している日本人の方にお世話になり、現地の生活について学びながら、夏の高原地域のような心地良い気候の首都キガリをあちこち歩き回りました。最後のハイライトはゴリラに会いに行ったこと。シルバーバックと呼ばれるゴリラの迫力と美しさといったら。私はこの時、学部の卒業式があったのですが、「式に出ることとルワンダでゴリラに会うことだったら、ゴリラのほうが絶対に人生にとって大切」と心底思って旅を続けていたのでした。

自ら創り出す経験

帰国便では、あまりに濃密で様々な出会いや経験の詰まった日々を胸に、なんだか現実に引き戻されるような感覚をもっていました。それと、少しほっとしたような。どこの地域でも今その時が「現実」なのに、自分が移動するだけで感覚が変わるのは、なんだか不思議なものです。

……さて、旅を通して得られた経験や出会い、気づきは本当にたくさんあるのですが、私がもっともこの経験から学んだことは、帰国して数日経ってから起きた出来事でした。

デジタルカメラで撮影した数百枚の写真データが消えてしまったのです。数回開いて、旅の思い出を楽しみつつ、整理していこうとしたその矢先でした。修復を試みましたが、なぜかデータにアクセスできない状況は変わらず、結局、いくつかSNSにアップしていたもの以外は消えてしまったのです。あまりのショックで号泣しました。これだけの記録が消えてしまうことは、辛く、悔しく、そしてよくわからない悲しみでいっぱいになりました。

一時の出会いが一生の思い出(タンザニア・チパンガ村)

でも、なくなってしまったものは仕方がありません。自分で描いていた絵日記が、自分の大切な記録となりました。そして、こう考えるようにしました。「自分が見聞したことや経験したことは確かなことで、今忘れてしまっても、本当に覚えていたい大切なことだったら、きっと心のどこかに残っているはず」。

その時は、思いこませないとやっていられない! くらいの悲しさだったのですが、意外にも、このことが、後々ずっと支えになってきました。旅をしたときに心が動かされた光景や、食べ物の味、音、自然の風景、誰かと会話したことなど、ふいに思い出されるのです。

経験することは大切です。でもきっと忘れることもあると思います。それでいいんだろう、と思います。たくさんの人や出来事との出会いは、それが自分自身で選んだことや、自分自身が確かに感じたことであれば、忘れてしまっても、きっと人生のどこかで支えになってくれるのだろうと思います。

これが、私がアフリカの旅を通して、その魅力とともに学び、今でも感じていることです。勝手なことを言わせていただけば、皆さんにはぜひ、学生の時間で様々な出会いを「自分で」つくりだして、そのご自身の経験を信じていっていただきたいな、と思っています。

国枝先生との思い出

さて、次は新聞学科の国枝智樹先生です。国枝先生とは、博士課程の学生時代からの“同志”です。当時の上智大学国際戦略顧問(2013-2017年)でおられた藤崎一郎先生のアシスタントに就かせていただいたことがきっかけです。100周年記念企画に携わらせていただいたことをはじめとして、上智大学での仕事はじめを一緒に経験してきました。それからも、仕事や研究活動で多くの刺激をいただいています。研究でも仕事でも詰まったときには、それぞれ研究室にいても、「ちょっとお茶しよう!」と呼びかけ合って(呼び出し合って?)東門先のタリーズでおしゃべりしていたのは良い思い出です。ピシッとしながらもユーモアたっぷりのコメントが楽しい国枝先生が、どんなコラムを書かれるか楽しみです!

この活動は、このコラムを書かせていただいたこともきっかけに、また再活動したいと考え始めているところです。私自身も活動していきたいと思います。

次回は……

山﨑先生から国枝智樹先生(新聞学科)をご紹介いただきました。次回の「先生コラム」もお楽しみに。